シャローム代表の体験談

この体験談は、2006年10月28日(土)に、たすけ愛講演会で、がん患者会シャロームの代表ががん体験者として発表したものです。がんに対する知識や予防、がん患者の思いなどを理解して頂きたいと思い、公開する決意を致しました。



私は、杉戸町に在住しています。××と申します。よろしくお願い致します。
今日は、お忙しい中、この講演会にご参加頂き、心から感謝致します。
このホール一席ひと席を埋めて頂く為に、本当に様々な方々がご尽力下さいました。
私は、人の温かさや優しさをこれほど、多くの方に一度に感じたことは、かつてありませんでした。来ていただいた方、それから、来て頂くよう働きかけて下さった方、この場を借りて、心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

さて、
私は、今回のフォーラム開催をたすけ愛すぎとに提案したがん患者です。
私は、今日、お話したいことを、5つに分けて体験を交えてお話をさせて頂こうと思っています。


まず、一つめは、このフォーラムの動機についてです。

私は、2000年6月に癌を発症し、築地にあります、国立がんセンター中央病院で、がんの摘出手術を受けました。今年で7年目を迎えています。私が病院に行ったきっかけは、4〜5時間前まで一緒に元気に話していた友人が深夜緊急入院したことでした。彼女の症状を調べるうちに癌という字が私の目の中に飛び込んできました。そして自分の気になっていた症状に気付かせてくれました。私は、すぐに受診し何と癌が発覚したのです。こういうことから、私の今日のようなカミングアウトは、誰かの背中をおすきっかけになるかもしれないと思ったのです。

ですから、
私がここに立たせて頂いたのは、派手なパフォーマンスをするためでも目立ちたい為でも勿論ありません。むしろ、自分の病気は、カミングアウトしたくない・・というのが本音でした。しかし、私の身の回りの若い方が次々に癌による無念の死を遂げている現状を目の当たりにして、私は、私の病気を晒してでも、がんは、誰にでも罹りうる当たり前の病気であり、対岸の火事では決してないこと、私はがんにならない・・という保障は何処にもないこと等を真正面から生の声をもって訴えていかなければならない・・という思いに至ったのです。私が癌にならなければならかった役目というか、使命に似たものを感じるように気持ちが変化していったのです。

現在、男性の一生涯のうちの2人に一人が、がんになり、女性の一生涯の内の3人に一人が、がんに罹るといわれています。

そして、現在、がんに罹っている人の4割が助かり、6割がなくなっており、年間30万人以上ががんで亡くなっているという厳しい事態は、国民の最大の関心事になっています。

さて、この杉戸町の検診状況を保健センターに尋ねましたところ、もっとも早期発見早期治療につながる乳がんや子宮がん検診などは。一番罹患率の高い年齢でさえ、乳がんは、×.×%であったり、子宮がんは、女性全体の受診率が、×・×%というかなり低い数値でした。

胃がんの検診は、40代の男性も女性もわずか×〜×%でした。がんの死亡原因を占めるピークは、男性の場合で60歳代、女性では40〜50歳代あたりですので、深刻な数字だと私は思いました。肺がん・大腸がんについても、××〜××%どまりでした。がんの特徴として、比較的若い人が、がん死亡原因をしめる割合が高いということは、社会的にも大きな問題になっています。今一度、検診について、考えて頂けたら幸いです。


2つ目は、私のがん体験談です。

 私は、49歳で、癌を告知されました。入院中は、がん仲間がそこにいるだけで、本当に気持ちは、ほぐれていきました。しかし、本当の闘いは、退院してから始まりました。夫は、その頃、人員削減などで大掛かりなリストラが発症の2〜3年前から始まっていました。会社に残った者は、その仕事量は倍の量となっていました。

それぞれ、闘う相手が違っていました。そんな中、互いを思いやるゆとりはなく、自分のことだけで精一杯でした。夫婦の間に隙間風が吹くようになりました。夫婦間の溝は、どんどん深くなっていきました。私達夫婦は、結婚以来、絶対に離婚などありえない・・と思っているような夫婦でした。小さな喧嘩はしても、私は、夫と別れるなんて本気で考えたことは、一度もありませんでした。でも、その時は、もう終わりだと思いました。


 (発表中涙がこぼれました。アドリブで、思わず、“ハンカチを忘れてしまった・・”と言った途端会場から笑いがおこりました。)

そんな訳で、私の辛さを訴えても、夫は、自分の頭の上の蠅を追うのに精一杯でした。私は、私で夫の馬の目を引き抜くような男社会の厳しさを分るはずもありませんでした。

私は、がん細胞の病理の結果から、周りのリンパ節に転移をしており、  がんの顔つきが最悪であり、予後の悪いタイプであることが次々と分って きました。
データからすると10年生存率は、4〜5割の結構厳しい ハイリスク群でした。

がんになり、一番苦しかったのは、手術よりも抗がん剤よりも、何よりも、私の場合は、この夫婦の危機でした。女性のがん患者は、このようにがん意外と闘わなければならない状況に置かれることは、珍しくありません。
抗がん剤6クールの後は、更に再発・転移を防ぐ為に2年間、毎月注射に築地まで通いました。同時に服用する薬を5年間飲みました。その強硬な治療で、私は生まれてはじめて、自分の心をコントロール出来ない、心をかきむしるような怖さを私は経験しました。


急に泣き出して自分を責めたり、もう、生きる値打ちもないように追い込まれてもいきました。これは、同じ治療をしている人によくある副作用で、その治療を人によっては、断念しなければならないような重篤な症状が表れる場合もありました。

リスクとベネフィットと言って、副作用と効果を天秤にかけて治療をする訳です。その間、精神安定剤や睡眠導入剤などを2年間服用し、その後、強硬な治療から緩やかな治療へと移行していきました。

4人部屋だった入院仲間は、私だけが残り、みんな亡くなってしまいました。がんとは、そういう厳しい病なのです。
夫婦のかさかさした関係は、夫の単身赴任という形で一応の修復がなされていきました。そして、互いに相手の立場には完全には立ち得ないからその苦しみや辛さを充分に理解することは出来ない。
そのことをまず、お互いが認識することからはじめよう。そこから思いやりは始まるかもしれない・・・。という結論に達していきました。

そして、精神的な癒しや安定は、インターネットの仲間や患者会にそれを求めていきました。周りに家族がいても感じる孤独感を、仲間が埋めてくれました。

同じ病気を持つものがいてくれるだけで、自分だけじゃない・・という安心感や、病気に立ち向かう勇気が自然に沸いて来ました。

とり訳、私と同い年で、奥様をなくされたインターネットの中の男性は、本当に私の気持ちをしっかり受け止めて寄り添って頂きました。私は、嬉しくて・嬉しくて、何度もPCの前で泣きました。

話は前後しますが、
今日のこの司会は、私の夫です癌という重いテーマの司会は、やはり、少しでもがんと関わったものでしか、よみとれない会場の雰囲気があり、それを掴んで進行して欲しいと思ったからです。
夫は、『お母さんが僕を必要としていることに僕は応える・・』と、言って今回、大阪からこの司会のためだけに忙しい中帰って来てくれました。

(アドリブで、“お父さんありがとう”と、思わず言ってしまいました。また、会場から笑いがおこりました。)


寄り添うとは、寄り添う側がよかれと思って何かをするのではなく、本人が何を求めているか、その求めに応えることが、本当の寄り添い方だと私は思っています。
私は、今回ほど、夫の優しさを身に沁みて感じたことはありませんでした。がんという小さな世界で繰り広げられる大きな幸せを感じた瞬間でもありました。

さて、私は、最先端医療を提供している病院であっても、自分で納得した治療を受けたいという強い思いがありました。

世界の標準治療はどうなっているのか、新薬はどこまで来ているのか、私なりに可能な限り調べました。セカンド・オピニオンへも行き、QOLを上げる為の治療に入退院を繰り返して、何度も、体にメスも入れました。このように、私は、自己責任において治療を選択していきました。

医療者のことについて少しお話したいと思います。私は、国立がんセンター中央病院では、勝俣 範之医師に、そして、QOLを高めるために行った治療でおきた後遺症のケアーは、済生会栗橋病院の内科 福屋 裕嗣医師に診ていただいています。
今日も、福屋先生がこの会場にお見えの予定でしたが、体調を崩され欠席されるという電話が先ほど、入りました。
それぞれ素晴らしいドクターです。
健康な看護師さんにこの傷を見せるのは、抵抗がある・・と、それぞれの先生に訴えると、国立がんセンターも、済生会栗橋病院も、次の診察時には、診察室にカーテンが設置されていました。

驚きました。患者の尊厳を大切にされていることに、とても嬉しくて感動しました。緊急で診てもらえなかったというと、勝俣医師も福屋医師も『それは、患者の権利です。直接私を呼び出して下さい。』と、言い、
マニアックな私の質問にもお二人とも、嫌な顔もされず、誠実に、納得いくまで説明して下さいました。そして、お二人とも、勿論、診察時のテープの録音を、快諾して下さっています。
『診察時間をそんなに気にしなくて大丈夫ですから、聞きたいことは、何でも聞いてください。』と、いつも、患者の気持ちを尊重して下さいます。

特に勝俣医師には、『××さんは、最後の診察に予約を入れますね。それなら、ゆっくりお話できるでしょ。』と、言われます。
私は、そんな患者サイドに立った信頼できる医師に囲まれ、本当に幸せな患者だと思います。私にとって医療者は、何にも勝るお薬だと思っています。

こんな患者に優しい医療をどこの病院でもどんな患者でも、どのお医者さんからでも受けられるような臨床現場であれば、本当に患者は、病と闘いやすくなるなぁ〜と、思っています。そういった医療者と患者が信頼関係を構築でき、互いに納得の行く医療を受けられるようになることを私は望んでいますし、そんな働きをしています。

さて、私は、今も治療を続けてがんと闘っています。私のがんは、『何年たったからもう大丈夫です。』という太鼓判を押して頂けるようながんの種類ではありません。
一見、元気そうに見えますが、今も再発・転移を防ぐ為に、現在も治療を受けています。人は、よく、強いわねとか、頑張ってるね。と、言いますが、私は、そういう言葉は、あまり好きではありません。なってしまえば、誰だってベストを尽くして闘わなければならないことであり、特別なことではないのです。普通にしていただければ、私は、本当にありがたいのです。


3つ目は、36歳の若さでがんでなくなったまりるさんという女性の闘病についてです。

まりるさんとは、インターネット上の呼び名です。彼女は原発のがんから肺転移をした時から私との付き合いが始まりました。都内の大きな病院の患者でしたが、主治医の先生の心無い言葉に傷つき、勝俣医師をご紹介したのがお付き合いのきっかけでした。

彼女は、がん細胞の増殖が速く抗がん剤も効果がありませんでした。術後2年しない間に肺転移をし、その後、亡くなるまでに、僅か1年半で肝臓転移・脳転移・皮膚転移・骨転移と全身にがん細胞がはびこって行きました。

彼女とのふれあいの中で、印象に残っていること2つをお話したいと思います。

ひとつは、彼女からある日電話がありました。それは、『私は、こどもの成長を見守れないのがつらい。悔しいし、悲しいし、私は、死にたくない。』という慟哭の叫びの電話でした。私は、必死で、『あなたが子ども達を愛しているというその思いは、子どもたちの心や魂に届いている。
大切な物は、目には見えないよ。この愛されているという実感があれば、きっと、子どもたちは、大丈夫だよ。立派に育つよ。』と、必死で訴えました。少しずつ彼女も落ち着いていきました。

2つめは、彼女は、2人の子どもにその後、ダイヤの指輪を買いました。母親の愛を形あるものにしたかったのだと思います。それぞれの名前を刻み、いつも、指にはめていました。指が浮腫(むく)みはめられないときは、ネックレスにはめて首にかけていました。
いつも、肌身離さず身につけていました。この指輪は、ママといつも一緒だよ・・と彼女は伝えたかったのかもしれません。
彼女は、こどもたちが、18歳になったら手渡す・・と言っていましたが、それがかなえられないことは彼女が一番よく分かっていました。いつも、その話になると彼女は涙ぐみました。彼女は、目に見える愛の形として指輪に母親の気持ちを託しました。

彼女は、今年の9月5日に亡くなりました。

7月2日に届いたメールには、『思うように動けない自分が悲しくて・悔しくて・情けなくて、もう全てを終わりにしたいとまで思いました。』と書かれていました。

もう、終わりにしてしまいたいほど、辛いのです。
告別式の日、彼女の日記が読み上げられました。『私は、死にたくない。』という言葉、『もし、生まれ変わっても、パパと結婚したいこと、子供たちのママになりたいこと。』辛い胸の内がそのまま書かれていました。

人は、命の火が消えるその最後の時まで、生きようとするメカニズムになっている・・と私は、様々な事例を通して最近思わされています。もう、死にたいし、終わりにしたいと頭で思っても、『その命は、生きようとしている。』私はそう思えて仕方がないのです。
常日頃、その命の叫びや訴えやサインにほんの少し耳を傾けるだけで、もしかして、その命をもっと大切に出来るかもしれない・・と思うのです。

この彼女の闘病がお一人おひとりの心にどのように伝わったか、私には計り知れません。ある時、彼女は、『もし、このような講演会を自分が癌になる前に聞いていたら、もしかして、私は、死なないですんだかもしれない・・』とも言ってくれました。今日は、お空の上からこの講演会を応援してくれていることでしょう。

そして、この私の体験談発表の後には、プロの歌手大石 亜矢子さんと盲導犬アンがゲスト出演して下さいます。ホスピスに入院しているまりるさんを見舞った帰り、偶然、信じられないようなきっかけで出会う機会が与えられました。

この出会いや、まりるさんとのことは、がん患者会シャロームのhttp://www.geocities.jp/sugitocancer/ のHPに『天使になったまりる・・』で、詳しく載せています。お時間がある方は、是非、閲覧頂ければ幸いです。


4つめは、私が立ち上げました。この杉戸近辺を拠点にしたがん患者会シャロームについてです。

ある脳腫瘍のメンバーは、脳腫瘍と告知された時、『一歩先を行くがん患者に自分の気持ちや思いを聞いて欲しかった。不安や辛さ、病気が診断される前の長く苦しかった思いなど、同じ思いをした患者と共有したかった』と、おっしゃいました。

だから、今、元気にさせていただいている自分も誰かの役に立ちたい、と、会員になって頂きました。『癌と宣告された時、まさかりで、頭をなぐられるようなものだった・・。』と、そう表現された男性がおられましたが、その苦しみや辛さを吐き出せる場所の提供が、このがん患者会シャロームです。今は、このフォーラムの準備で、まだまだ、会の活動としては不十分ですが、おいおいに充実していけたら・・と思っています。

私がこの会を立ち上げたもっとも大きな理由は、親友が癌にかかった時でした。彼女は、抗がん剤の副作用で苦しんでいました。

ご主人からは、自分の前で泣くのはいいけれど、まわりに心配かけるから、親戚の前では、泣かないで・・』と、泣くことや、辛さを訴えることを制限されてしまったのです。

彼女から私に携帯メールが来ました。『今すぐに来て、この苦しみは、この苦しみを味わったものにしか分らない。お願いだから来て!』というSOSでした。私は、飛んでいきました。『分る。分る。』と、手を握ることしか出来ませんでしたが、彼女は、『分かってくれて嬉しい。それだけでいい。』と、言ってくれました。地域に根ざした患者会とはそういうことだと思いました。

陽だまりで肩寄せあって支えあおうという。そういう働きをしていけたら・・と、思っています。がん患者会シャロームにご興味のある方は、講演会終了後出口にたっておりますので、お声をかけて下さい。私の名刺をお持ち帰り頂けたら幸いです。

親友は、昨年11月47歳の若さでなくなりました。私よりも後にがんになり、私よりも先に逝ってしまいました。

今日の私のこの着ている洋服は、少し大きめですが、彼女の遺品です。彼女もまた、この服と一緒に『××さん。私の分もしっかり発信してね。』と、この講演会を応援してくれていることでしょう。

でも、そんな悲しく辛い話ばかりではなく、実は、がん患者会シャロームに奇跡の生還を果たされた方がおられます。今日は、席上からご自分の身におこったことを少しお話をして頂くことになっています。一柳さんよろしくお願い致します。

ありがとうございました。決して、万に一つの奇跡を皆さんいたずらに希求しましょう・・ということを言いたいのではなく、事実を事実のままに彼の中でおこったその真実を語って頂きました。今日は、ここに、転移をされ、今も再発がんと闘っておられる方も参加されています。このフォーラムでの一連の流れの中で、何かひとつでも、本当に闘いに生かせるような物を掴んで、手ごたえを持って帰って頂けたら嬉しいと思っています。

また、インターネットの中の若い方がこのがん患者会シャロームのHPを見て、広島のネット上の名前、ゆめみんさんという方が、『杉戸のみなさんへ・・・』というコメントを寄せて頂きました。
今日は、一番遠く青森からこの講演会を応援しにきてくれたがん仲間の××さんに代読して頂きます。それでは、××さん。よろしくお願い致します。

ありがとうございました。いろんな方の思いがこの講演会の中に詰まっています。彼女もまた、自分のようにならないで・・・という思いから発信してくれました。

がんは、がんの部位や顔つきや大きさや進達度や浸潤度などで、決してひとくくりには出来ないことは、あまり知られていません。闘病は、本当に様々です。いつかは、人は死ぬのだから皆同じよ、がんは、死ぬまでに時間があるから、準備が出来るから他の病気より幸せよ・・などというそんな簡単なもので括られるものではありません。

まりるさんのように、死を覚悟しながら生きなければならない者の苦しみは、なって見なければ分からない苦しみだと思いました。ひとり一人のその死に様や闘い様、辛さや苦しさは、異なります。見た目からは、想像できないような心の葛藤や肉体的な苦痛があるのです。

しかし、時には、病気を忘れたい時もあります。病気に触れて欲しくない時もあります。
会うたびに『元気そうじゃない。とか、大丈夫?とか、お大事に』などと、言われたら、いつも、病気に引き戻されます。『病気にはなっても、いつまでも病人ではない・という言葉もあります。』だから、どうか、普通にして欲しいのです。
がん患者会シャロームHPにも、配慮して欲しい言葉を載せていますので、ご覧いただければ幸いです。また、今日の参加者にも、お帰りの際には、『頑張って!』ではなく、『ありがとう。』って、互いに思いやれる温かい会話が交(か)わせるような挨拶をして頂けたら・・と、私はとてもうれしいのです。


最後の5つめは、たすけ愛すぎとでの私の働きについてです。

たすけ愛すぎとは、障がい者を支援するNPO法人です。
がんになり、生かされた命で社会に貢献したいという気持ちからこのたすけ愛すぎとに加入しました。サポートは、行政では対応出来ないような、隙間を埋めるような働きをしています。

今では、対象は、障がい者だけではなく、お年寄りや病人の方々などに、援助を必要としている人の求めに対応しています。

そして、私は、がん患者さんをサポートさせて頂くことがあります。あるがん患者さんの依頼者が、『貴方に来て頂いてとても安心してるの。本当に感謝してる。私って神経質かしら。私、って気にしすぎかしら・・。』と、口を開かれたことがありました。
私は、即座に、『そんなことはありません。あなたがあなたらしく生きる為のサポートですので、私は、それを喜んで応援します。』と、お答えしました。次第に他の人にはみせない笑顔や体調のよい時は、明るい笑い声を発せられるようになりました。私は、彼女のサポートをする度に、私ががん患者でよかった・・と思えるひと時でした。

私は、このたすけ愛すぎとのほかに、生涯学習センター内に設置されている障がい者自立支援喫茶室ほほえみのボランティアもさせて頂いています。
そこで、出会う精神障がい者の方たちや知的障がい者の方々に触れると、何かほっとするものがあります。私は、彼らたちの笑顔に支えられています。私のような者を喜んで受け入れて頂ける幸いを覚えています。私が癌にならなければ、弱くならなければ出会えなかった方達の中で、私は、今、生かされています。とても幸せです。

私は現在、茶房ほほえみやたすけ愛すぎとの経済的支援をさせて頂く為に、個人でフリーマーケットを開いています。皆様から献品して頂き、その得た収益は、すべて全額、障害者団体に、寄付させていただいています。皆様にもご協力頂ければ幸いです。フリマの場所は、隔月の、生涯学習センター前と、毎月の幸手エムズタウンに出店しています。

さて、最後に、『癌は、不運だけれど不幸ではない・・』と言った方がいます。私も、今はそんな訳で、幸せです。
でも、『それでは、××さんは、がんになってよかったですか・・』と尋ねられたら、私は、『いいえ。』と、即座に答える厄介な患者です。

私は、やっぱり、健康だったあの頃の体に戻りたいのです。嫌だいやだといいながら、私はそれでもがんと付き合うしかないのです。いい恰好も出来なければ、立派なことも言えません。がんからもう逃げられない身でありながら、それでも、必死に抵抗している自分がいます。

私は、これまでも、これからも、こうしてわめきながら、不恰好に生きていくのだと思います。でも、気がついたら、こんな所に立っていました。私のがん体験は、キャンサーギフトはありますが、ハッピーエンドでもサクセスストーリーでもありません。今、現在がそうなる途上なのかもしれません。でも私は、やっぱり癌にはなりたくなかったのです。

ぶざまな体験談で本当にごめんない。がん患者は、『命は生きようとしている。』この流れに身をかませて精一杯生きているのです。
皆様にも、『命は生きようとしている・・・』この言葉を、心に深く受け止めて、命を大切にして頂けたらと思っています。ご清聴ありがとうございました。

  1. 2007/01/17(水) 11:07:09|
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