医師を看護師を何度も呼ぶ。お産とは皮肉な物で、手厚いどころか、時には叱咤される。途中、お腹を押されて破水させられた後は、更に陣痛が激しくなる。
痛みの限界を越えようとした時、ナースコールのボタンをやっとの思いで押す。たまたま来てくれた看護師さんが優しい方であったのが幸いした。適切な対応のお陰で、私は、最終的に命拾いをすることになる。しかし、その後私は更なる試練を迎えようとしていたことなど、想像だにしていなかった。
私は、満身の力を込めて、『難産になったら帝王切開に切り替えると外来で言われている。このままなら、私も赤ちゃんも死んでしまいます。すぐに帝王切開をして下さい。』やっとの思いで、痛みに耐えながら必死で訴えた。間断のない強烈な激痛がずっとずっと続いていた。
もし、傍らに刃物でもあれば、それをお腹に刺してでもその痛みから逃れたいほどの痛みであり、筆舌に尽くせないこのもどかしさ。兎に角、子宮が引き裂かれている状態にあったのだから、どなたも、そのすさまじさは、想像出来るのでは・・・と思う。私は、死線をさ迷っていた。
ようやく、当直の女医さんが診てくれる。胎盤監視装置に目をやると、周りは、急に慌しくなる。
(陣痛促進剤により、人工的に起した陣痛が、過強となり、計測は欄外に飛び出し、異常事態発生は、一目瞭然であった。)医師は、『陣痛を抑える薬を注射します。ご家族に連絡し、すぐに帝王切開に切り替えます。もう少し、頑張って下さい。』と、口早に言い放つと、緊急体制に入っていった。
自宅には、1歳8ヶ月の長男の面倒を見る為に、実母が田舎から出て来てくれていた。深夜12時頃には、母は、緊急の電話に気付くはずもなく、育児疲れで爆睡していた。
信じられないことに、夫はその日に限り、リビングのソファーでうたた寝をしていた。もし、夫が寝室で寝ていたなら、まだ子機などない時代の電話に気付くことはなかった。リビングと寝室の間には、2つのドアで遮られていたからである。
もし、連絡がつかなかったなら、私は、手術をされることなく、今頃、子供と共に、天国にいたことになる。(家族に無断での手術はありえたのか・・・。定かでないが・・。)
夫は、夜中、大学病院に飛んで来て手術に署名をする。私を見た途端。尋常な状態ではないとひと目で分ったという。私は、もう、この段階での記憶が飛んでいる。私の目はうつろとなり、その定まらない目つきが印象に深く残っていると、今でも、時折話してくれる。
私は、手術室に入り、夫は、手術室前の廊下で祈り続けていた。手術室の中から看護師さんが待機している夫を呼び、手術室に招き入れられる。その時、『何かが起こっている。妻の命が危機にさらされている。』と、当然だが咄嗟にいやな予感が走ったという。
市内の市立病院では、前年の12月(次男は、翌1月誕生)、陣痛促進剤で母子が亡くなっていたことを、後に“陣痛促進剤の被害を考える会”で知らされる。一ヶ月の間で、このような医療事故があったこと事態、勿論私は知る由もなかった。
part3に続きます。
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2月16日医療事故!
明日は、がん患者会シャロームの有志でカラオケを楽しむ予定です。
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