私は、絶対安静と強い抗生物質の為に、おっぱいが張らないように薬で止められていた。そのお乳が、何と出始めたのだ。そのまま自然に止まるのが通常らしいが、私は、これで、2回目の奇跡が起こった。1回めは、母子が生きていたこと。
私は、必死で絞った。もう初乳の、黄色とクリーム色のあの中間の色とねばさもなく、辛うじて色がついているようなものだった。我が子を想う母親の勝利だ!主治医は、『こんなことは、初めて・・』と、驚いていた。初乳は、赤ちゃんを病原体から守るために、神様が備えて下さった天然の生体防御機能。
一回に絞れる量は、僅か10cc必死で絞ってもそれが精一杯の量だった。それをミルクに混ぜて飲ませて下さる。勿論、赤ちゃんに私のおっぱいを吸える力などあるはずもなかった。
それでも、毎日お乳を搾り続けた。パックにいれて小児科の看護師に届ける。底の方にほんの少しだけ滲むようにしか入っていないお乳ではあったが、私の子供に対する気持ちは、ぎっしりと詰まっていた。
髄液検査は、大人でもとても痛い検査であると後で知った。脳のCTの検査では、眠らされて検査をされる。そのせいか、2日くらいずっと眠り続けている。血流シンチは、体内に、微量の放射性同位元素などを注射し、脳の血流を調べる。
夫が言った。『検査をして障がいの有無が分ったら、何か手立てがあるのですか?もしないのなら、これ以上検査をしないで欲しい。』と、訴えた。小児科の医師の応えは、意外だった。『手立てはありません。しかし、我々は、診断しなければならない。その為の検査です。』と・・・。
そんな中、赤ちゃんは、2回目の肺炎を起してしまう。まったくの無菌室であり、特別の保育器に入っているにも関わらず・・。医師は、『肺炎に二度もなるのは、筋肉の弱い子に多い。筋肉の弱い子は、脳に障がいのある子が多い。』と、聞かされる。
ネガティブな情報が飛び交う中、私のお乳は、一日で50ccくらい搾乳することが出来るようになっていた。悲しんでばかりはいられない。その時の私に出来ることは、心を注いで祈ることと、必死でお乳を搾り続けることだけだった。
part9に続きます。
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