今日は、県知事に講演会挨拶の依頼書を出したり、多方面への電話やメールにちょっと大忙しだった。それでも、秋の講演に向けて心が躍る。第一部の司会者も決まった。杉戸町在住のシャローム会員。みんなで担いあって心に残る講演会を・・と、只今構想を練っている。
29歳の手記は、今日で終わるが、まだまだ山本議員関連の記事は終わらない。『天国にいるおとうさま』の詩や、当選秘話やお仲間の弔辞をご紹介したい。今頃になって、山本議員のプロフィールに触れている自分が、何だか情けない。
悔やんでも仕方がないが、山本議員の折々にみなぎるエネルギーは、58歳になっても衰えることはなかったのだ・・と、改めて思わされた。年齢を重ねるごとに磨きがかかり、彼はみごとに人生を完結させた。手記の続き↓
今日は、午前中に癌研有明病院の婦人科部長 宇津木 久仁子先生とコンタクトが取れた。国立がんセンター中央病院の勝俣医師 済生会栗橋病院の消化器内科長 福屋裕嗣医師と本田医師。これで、講演会の第二部のパネルディスカッションのメンバー4人が揃った。お忙しい先生方には、こんな田舎まで足を運んで頂けること、心から感謝している。
そして、午後は、シャローム女性会員のみのランチオフ会を開いた。引きこもっていたがん患者さんから思い切ってシャローム専用携帯にお電話を頂いた。会員にお声をかけ、今日は6名で、楽しいおしゃべりやお食事を頂いた。
さて、山本議員の20代は、精力的にアクティブにそして情熱的に活動されたことは容易に想像出来る。その躍動感がこの手記からびんびんと伝わって来る。きっと、エネルギッキュに志し高く、我を忘れるがごとく奔走されたのであろう。頭が下がる
すでにその頃からそういた活動を天命と確信されておられたことに、奥さん同様私もまた驚いている。何故なら、当時の私は、ただ自分のためだけに生きていた。山本議員とは、ひとつしか違わない。自分の20代を思うと、とても恥ずかしい気さえする。
募金のあと、私は「大阪交通遺児を励ます会」をつくることになりました。大学3年生の冬でした。
さっそく上京し、遺児名簿を徹夜で転記。次の日には、発足お知らせ状のあて名書きを始めるという早業のあとは、飯野 俊男君(大阪府立大)という得難い伴侶をえて活動は急ピッチに進み、調査、クリスマス会、募金と続き、翌春には、交通遺児作文集『お父ちゃんをかえせ』を発刊しました。
大学4年生になると、ゼミ担当の野久尾 徳美教授が「実践活動もいいだろう。」と、ゼミ欠席を黙認して下さったのを幸いに、私は、東京にいることの方が長くなりました。
「奨学生のつどい」を応援したり、励ます会を全国に広め、全国協議会を結成するのが目的でした。
8月、そろそろ就職のことも気になり出したある日、玉井先生から「来年から育英会に来ないか。」との誘いを受けました。
「僕の兄は、小学2年の時に、家の前でトラックにひかれて死んでしまいました。ちょうどテレビ放送が始まったころで、死の直前にも『テレビが見たいなぁ』と言ったそうです。
昨日まで元気に遊んでいた兄が次の日からと突然姿を消してしまうという「恐ろしさ」は、体験者でなければわからない。
しかも交通事故が原因では、あきらめきれないじゃないですか!今でも兄のランドセルが、その日の時間割どおりの教科書を入れて置いてあるんですよ」最後の方は、涙声になっていました。
1979年に『交通遺児育英会10年史』に寄せた山本さん(当時29歳)の手記から(要約)明日に続く。
今までのブログ
2月27日:山本 孝史議員:29歳の手記!
山本 孝史議員の奥様 山本 ゆきさんからご返信を頂いた。掲載の許可を頂いているので貼り付けさせて頂く。山本議員とほんの少しでも触れる機会が与えられたことは私の財産だし、
その奥様ゆきさんともこうして交わらせて頂けることは、私の宝だと思っている。奥さんもまた山本議員の奥様らしく、気さくで飾らない。本当に素敵な女性であるが、その元秘書さんも、遜色なく素晴らしい。
このお二人、いつも控えめだけれど有能。この女性お二人の強い味方で山本議員は、安心して大胆に活動出来たと言っても過言ではない。それぞれの役割分担で見事に山本議員の活動を支えられた。私は、このお二人からも多くのことを学んだ。
・・・・・・・山本 ゆきさんからのご返信・・・・・
メールをありがとうございました。あしなが新聞のご紹介にも感謝します。特集の中で私が一番心を留めたのは、彼の29歳の手記の最後の部分「この10年の蓄積をもとに、少しでも社会に貢献できる仕事をすることが、私の天命であると思います。」
のくだりです。がんになってから「天命」ということばをよく使っていましたが、29歳のときから意識していたことに驚きました。そういう意味では、天命一筋の人でした。
山本は多くの人の心にいろいろなものを残して逝ったようです。皆様がそれぞれの思いで山本が残したものを膨らませていってくださるのを嬉しく思います。
29歳の手記
「出会い」が、その人の人生を大きく変える。本当にそうだと思います。昭和45年の夏、大阪で秋田大学の生路(いくじ)さんに会わなければ、おそらく私は、普通のサラリーマンになっていたでしょう。
「君も交通遺児の学生募金を手伝ってくれませんか。」当時からボランティア活動に興味を持ち、京都YMCAビワ湖キャンプ場で子どもたちとはしゃぎまわったり、車イスを押したりしていた私は、募金活動に即座に承諾しました。
大阪ボランティア協会の、昼間も陽が当たらない倉庫同然とした四畳半を根城にしての生路さんの奮闘ぶりはすさまじいものでした。
関西一円の大学、短大、看護学校を一校一校、資料をもってもわり募金参加を求めていく。時には深刻に悩まされていたようでした。
やがて秋の交通安全週間にあわせた10日間の募金が成功裏に終わった時、私は、生路さんたちの「フロンティア精神」に感服しました。
とてつもなく大きなもの、未知のものにむかって第一歩を踏み出そうとする「行動主義」が全国募金を実現させたといえないでしょうか。うらやましい、自分もそんな「行動力」を身につけたいと感じました。
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ちょっと嬉しいので中間報告だが、11月9日(日)の講演会に向けて、現在資金援助をして下さる製薬会社さんに打診をしている。今、ある一社が口約束(まだ、正式な契約?までには至っていないが・・)をして下さった。
ものすごく嬉しい。また3月に入って別の製薬会社さんとアポイントが取れた。趣意書と活動内容を会社に持参する運びとなった。『大集会などには支援するが、個人の患者会には、当社は支援金をだしていない。が、取り合えず趣意書を送って下さい社内で検討します・・・』という製薬会社さんもあった。がんと同じ私はそんなに簡単にあきらめない。
さて、山本 孝史議員:遺児へ最後のメッセージ!は、今日で終わる。しかし、明日から「明日に生きる若者」でありつづけたい・・山本 孝史さんの29歳の時の手記をご紹介したいと思う。
明日は、奥様の山本 ゆきさんの言葉も添えようと思っている。本日返信を頂いた。ゆきさんもまた山本議員同様、どんな小さなものへもきちんと向き合って下さる、広くて温かい心の持ち主。・・・ししまった入力中電話応対などしていたら、すべて入力したものが消えてしまっている・・。あ〜。今日はついてない。やりなおし・・。 最後に締めの言葉として皆さんに申し上げておきたいのは、そういう体験をしているがゆえに、他の人の気持ちがわかる。そういう体験の生活をしていたがゆえに、お母さんやお父さんや、みんなの気持ちが皆さんにはわかるだろうと思います。
単に遺児家庭だけではなくて、障がい者の家庭も、あるいは高齢者の家庭も、そういう方々の気持ちが、きっと皆さんは一言聞いただけでわかるだけの能力を持ってもられる。貴重な財産を持っておられると私は思います。
地域のリーダーとして
がん患者の先輩議員があれだけ頑張ってきて、ここまで持ち上げてきて下さったものを、バドンを受け取った私がさらに次へ進ませて、次の人にバトンタッチをしていく。
そういう思いの中で仕事をしている方と同じように、皆さん方にそういういろいろな方たちの心をしっかり受け止めてもらって、地域でいろいろな方たちと手を結び合いながら是非活動していく、是非地域のリーダーの一人にもなってほしいと思っています。
そうすれば、きっと世の中は変わっていく、よくなっていくと私は信じています。そう信じているがゆえに、私は少し安心しながらベッドの上に横になることができるというのが正直な気持ちです。
なんとかしゃべり切ることが出来ました。途中で倒れるのではないかと思いましたけれども、よかった。
最初で最後だと思います。皆さんと一期一会ですけれども、私のこの気持ちを受け止めていただいて、この夏のつどいで、頑張って欲しいなと思っております。時間を頂きましておおきに。ありがとう。
あしなが育英会通信 NEWあしながファミリー 第99号 2008年2月号より 大学生の感想!
お父さんを思い出した。私がその力になっていればという後悔と、これから誰かを助けられるかも知れない力をもっていることを気付かされた。私が出来ることを見つけていきたい。(伴 安香・大2)
ご自身ががんになったこと、それとともに命を守ることが使命だとおっしゃったことに非常に感銘を受けた。自分も親を亡くした経験をいかし、「命を守る」ということをしたいと思った。山本先生のように行きたいと強く思った。(峯田 洋輔・大3)
今までのブログ!
2月23日山本 孝史議員:遺児への最後のメッセージ!
2月24日山本 孝史議員:遺児への最後のメッセージPart2
2月25日山本 孝史議員:遺児への最後のメッセージPart3
本日、済生会栗橋病院副院長 本田 宏医師から、下記のサイトをアクセスすると、田中康夫 医療をダメにしたのは誰? ゲスト本田宏 っというラジオ番組をダウンロードすると聞けるようになっているという内容のメールを受信した。是非、お聞きになられますように。
http://tbs954.cocolog-nifty.com/ac/files/actk20080218.mp3
この本田医師は、今秋11月9日のシャローム主催の講演会の基調講演をして下さる医師である。この番組内に、政治は命を救うものである・・というフレーズが出てくる。まさしくこの命を救う仕事に命をかけた政治家山本 孝史議員のことを今日も、続けて転載したいと思う。昨日の続き!
今までのブログ!
「命は政治の責任」
平成5年、14年前の衆議院議員で初当選させていただいて13年議員活動をさせて頂きました。救える命があるのに次々と失われている。そえは絶対に政治の責任だ、政治の出番があるはずだというのが、私がこれまでずっと活動してきた中での思い出です。
ですから、命に関わるような問題、臓器移植、年金や医療や介護、いろいろな問題をやってきました。
そして、一昨年の暮れ、どういうわけか私にがんが見つかりました。実は、いろいろと考え始めたのはそこからです。国会議員をやっていて、沢山の人が陳情に来られます。
肝臓病の人たち、腎臓病や心臓病の人たち、子どもさんが難病の人たち、しかし、一ぺんもがん病疾患の人たちと、私は会ったことがありませんでした。
何でだろうと思った時に、たぶん自分がそうなってみて思ったのだけれども、がんと闘わなければいけないということがひとつにあって、同時に社会的にどうして欲しいというところまでには時間的な心の余裕もないし、精神的にそんなことをやっているような時間はないのです。
だから正直思いました。何でここで僕ががんにならないといけないんだ、僕でなくったって、他のひとがいっぱいいるじゃないか。しかし、私に矢が立った。
っというか、山本、おまえだからこの仕事ができるんだと。あなたにがん患者の声がみんな託されているのですよと言われているような思いがしました。
何をしたいか優先順位づけをして下さい。優先順位の一番が実現できるように治療はしますと、どのお医者さんもおっしゃった。
私は、迷わず国会の仕事がしたい。去年の1月から今年の6月まで18ヶ月、何とか生きることが出来ませんか。今、国会議員としてやっている仕事を、1つの任期が終わるまで、この7月の終わりまで、何とか生かして欲しいとお願いしました。
お陰さまで、がん対策基本法も、自殺対策基本法も、2つの法律をつくって、2つとも国会で通すことができました。
あしなが育英会通信 NEWあしながファミリー 第99号 2008年2月号より
先日、山本 孝史議員の奥様 山本 ゆきさんからNEWあしながファミリーという通信2008年2月1日(2月号)が送られてきた。山本 孝史議員の追悼特集である。
私が何を語るよりも、2007年夏 遺児へ最後のメッセージを送った時の講演をこのブログで何回かに分けてご紹介したいと思う。国民ひとり一人の命を尊び、命を救い、命を守ることを、身を挺して活動して下さった。
この最後のメッセージを読んでいると、山本議員の面影が脳裡に去来し、涙が溢れて止まらなかった。
能力もなく失敗の多い私が、どうして山本議員に出会ったのだろう・・・。私に何が出来るというの。何も出来やしない。大体、機知に富んでいる訳でもない、泣き虫で、大口叩く割には、弱虫で、から元気なだけの私がどうしてこんな素晴らしい山本議員に出会ったのか・・・。
そんな自問自答の毎日を送っていた。でも、今、こうして通信を頂き、それをこのようにブログで発信できる。これくらいなら私にも出来る。毎日、200〜300名の閲覧者に、山本議員の功績を伝えることは出来る。私に出来ることを、私らしくただ、淡々と積み重ねればいい・・・そ〜なんだな!
『気負わないで・もっと軽やかにほら!貴方に出来ること見つけられたでしょ。僕のことこうして少しずつ発信してくれれば、読者もきっと命の大切さ分ってくれるよ。それでいいんだよ。シャロームさん。まいどおおきに。』って、そんな山本議員の声が聞こえそう。
だから交通事故は減らせるはずだ。単に人が亡くなるだけではなくて、その家族が、そこからいろいろな思いを持って生きていかなければならない。
このことについて、世間はもっと目を向けてほしい。そういう思いで学生募金で10日間、梅田の花月の前で、「交通遺児にも進学の夢を」と街頭募金活動をやりました。大学の3年生の秋です。
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我が家の長男は、越谷幼稚園の卒園児で、次男も年少・年中とこの越谷幼稚園に通った。年長の時にこの地に引っ越して来たので越谷幼稚園の卒園児ではない。
その越谷幼稚園の通信を私は、卒園してからもずっと送って頂いている。幼子と共に2007年11月号から本日は、抜粋して皆様にもお裾分けをしたいと思う。
最近話題になっている本に「求めない」という詩集があるとのこと。アメリカ文学者で老子を現代語で翻訳して大きな支持を得ている文学者・詩人だそうだ。
人間は、求める存在だが、そのことを肯定しながら、その上で「求めない」とどのように変わっていくかということが、詩でつづられている。私も早速その本を購入しようと思っている。今日は、その通信に載っていた一遍をご紹介させて頂く。
求めない
すると
いまじゅうぶん持っていると気づく
求めない
すると
いま持っているものが
いきいきしてくる
求めない
すると自分の時計が回りだす
求めない
すると、もっと大切なものが見えてくる
それは、
すでに持っているもののなかにある
本日、2月21日(木)22時50分:テレビ朝日
報道ステーション:キャスター 古舘伊知郎氏の番組内で、故山本 孝史氏(前参議院議員)に関連する内容が報道されます。
是非、命をかけて命を守る活動に奔走した熱き山本氏の、輝かしい然し、地道で飾らない彼の足跡をご覧頂けたら幸いです。
認知症を予防する方法のなかで、もっとも確実で誰にでも出来るのが、「ウォーキング」だそうだ。まったく、運動をしない人と、適度な運動(一日40分以上の歩行程度)をした人を比べると、適度な運動をしていた人に認知症の発症が少ないという研究結果があるという。
歩くと脳血流が増える。大きな筋肉を動かすと、そこを動かすために脳が働くので、脳への血流の量も増えることになる。
ネズミの実験では、クルクル回る輪の中を走らせたネズミと、運動を出来なくしたネズミを比べると、運動をしたネズミの記憶力がアップすることが分っている。運動が記憶力アップに関係する。
昔から哲学者は歩きながら考えたと言われるが、その方が頭の回転が速くなることを経験的に知っていたからかも知れない。医学的には、脳血流が増えることがそれをサポートしているということらしい。
また、歩くだけで神経栄養因子が増えることも分っている(神経細胞を刺激して活性化する物質)歩くことで神経細胞どうしのネットワークも出来やすくなる。考えがまとまらないときは、思い切ってしばらく歩いてみるのもよいのかもしれない。
がんを防ぐための12か条の中にも、最近、一日中いすに座って仕事をしている人々の間に、大腸がんが多いという研究結果も出されている。膝を痛めておられる人は、無理をしてはいけないが、どうもウォーキングは、よいことばかりのようである。
今日は、都立駒込病院のピア・カウンセリング(がん体験者による相談業務)の日であった。以前起きていたような極度の緊張で眠気が来たり、体調を崩したりするようなことはなくなった。
ご相談の女性がお電話を切られる前に、お元気な声で、『私、もう少しがんばって見ます。』と、力強く言って下さった。不安の為に悪夢を見ておられた。でも、こうして自分の辛さや悩みを吐き出せる場所があることは、患者にとっては、大きな心の処方箋だと思っている。
さて、聖路加国際病院の理事長は、日野原 重明氏1911年山口県で生まれた。96歳。現役で全国各地での講演や学会・会議への出席、取材インタビューなど忙しい日々を送っておられる。
58歳の時、福岡での学会に向かう機内で、よど号ハイジャック事件に遇う。韓国・金浦空港に着陸した機内で、3晩を過ごして生還した。
生き延びることが出来たおかげで得た“与えられたいのち”。それ以降、いのちを人のために使おうという思いが強まり、多方面でどんどん活動するようになった・・・という。
その活動をするために心がけている習慣は、次の通り!
《健康で人生を満喫するためのよい習慣》
1.愛することを心の習慣にする。
2.「よくなろう」という気持ちをもつ。
3.新しいことにチャレンジする。
4.集中力を鍛える。
5.目標となる人に学ぶ。
6.人の気持ちを感じる。
7.出会いを大切にする。
8.腹八分目より少なく食べる。
9.食事に神経質になり過ぎない。
10.なるべく歩く。
11.大勢でスポーツを楽しむ。
12.楽しみを見出す。
13.ストレスを調節する。
14.責任を自分の中に求める。
15.やみくもに習慣にとらわれない。
“暮らし”を楽しむ大人のライフスタイル誌
SECOND STAGE 2007summer PR別冊 日経BP社より
2年前の今日、平成18年2月18日、福島県立大野病院の産婦人科医 加藤医師(38)が逮捕された日だ。平成16年12月、加藤医師は前置胎盤の妊婦さんの帝王切開を執刀した。手術中に、胎盤が子宮壁に強固に癒着していることが判明した。
手術から1年2ヵ月後、加藤医師は業務上過失致死などで、福島県警に2年前の今日逮捕された。手術から1年以上経っているのに、『証拠隠滅の恐れあり』として、在宅起訴ではなく、逮捕だった。
テレビカメラを呼んでの医師の逮捕劇はあきらかに異常だったという。(マスコミは喜んで取り上げたという)こんなことは、海外では有り得ない。医療ミスがあったら民事訴訟となるのは仕方がない。
今回は、『刑事事件』としたのだ。刑事罰となるのは、『医療行為そのものが、悪意によってなされた場合』にのみなのだ。この医師やスタッフは、全身全霊を注いで患者を救う為に全力を尽くした。
逮捕には、100を超える医学系学会が、抗議声明を表明した。現在も裁判は続いており、今後論告求刑が予定されているという。
さまざまなサイトを見ると、加藤医師の処置は、最終的に完遂していること、胎盤剥離に固執せず子宮摘出に切り変えることによって、止血を得ており、その後心室細動が起こり、亡くなっている・・。また、癒着胎盤は非常に稀で、事前の予測は不可能なことがほとんどだという。
医療介入があって、児だけは救命出来た。少子化の日本では、産科医の存在は貴重である。医学的事実を無視した警察の手によって、一人の熟達した産科医が現場からひきはがされた。今のこの福島県立大野病院の産婦人科は、あれ以来休診のままだ。
この事件の影響で、現在福島県内では、お産の出来る病院が激減している。全国のお産の現場から、医師が立ち去り、産科志望の若い医師が減少しているという。これらも、この逮捕が与えた影響なのだとのこと。
ある産婦人科医のひとりごとの下段・・・私の感想・・・(赤字)によると、産科診療に従事していれば、母体や胎児の生命に関する症例に遭遇することは、日常茶飯事です。
我々は、この生命の危機に直面した母児の命を助けるために、帝王切開などの危険な緊急手術を日常的に実施しています。が、手術の結果が常に患者側の期待通りにいくとは全く考えていません。
産科では、予測不能の母体死亡・胎児死亡・死産は、一定頻度でいつでも誰にでも起こり得るという事実を全く無視して、結果責任だけで担当医師が逮捕される世の中になってしまえば、今後は危なくて誰も産科診療には従事できません。今後の産科診療に非常に大きな影響を与える重大事件だと思います。・・原文まま・・
今日は、家族揃って恵比寿にあるエスモード・ジャポンという専門学校の卒業コレクション(ファッションショー)に行った。
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恵比寿は、まるで異国のような建物や行き交う人がとてもおしゃれだ。杉戸の田舎でどっぷりつかっていると、流行も世の中の流れもまるで止まっているかのよう毎日であるが、私はこの町が気に入っている。
我が家は、次男君を大学附属高校に3年間通わせた。エスカレーター式で大学にそのまま行ってくれると思ったからだ。しかし、親のもくろみはもろくも崩れ、彼は、高3の夏、都内のファッション関係の専門学校に進学したいと言い出した。
いくら物分りのいい親と言えども、必死で大学進学を勧めた。ある時は、ファッション関係の仕事をしている友人に断念するよう説得してもらったこともある。
しかし、親は、承服しかねるけれど腹積もりはしていた。きっと、彼の気持ちは強固だと分っていたから・・・。
それでも、反対をすることでいよいよ彼の気持ちを確かめ、揺るぎないものであるかを確認したかった。案の上、すでに多くの学校を下見をしており、彼の行きたい学校がすでに決まっていた。
このエスモードは、学校法人でない為に、学割が購入出来ないとかその他学費もかなり高額であった。年子の兄の私立大のすべて1・5倍であった。少人数制で一人ひとりにきめ細かな指導をしてくれる・・と本人は下調べや学校体験でそこに決めたという。
ミシンを掛けたこともなく、ことさら洋裁や細かいことが好きな子でもない。ただ、絵が好きで熱心に独創的な絵を描いていた。ただそれだけだった。何が彼をそこまで魅了させたのかは分らない。
彼は、3年間で目を見張るように成長した・・と教師が言っていた。講師には、フランス人が多く、その一人ひとりに通訳者がついていた。次男のファッションは、その気品高いフランス人には、理解されなかったようでいろいろと苦労したようだ。
まさしく山あり谷あり、スランプやジレンマを乗り越え、彼は、卒コレまでたどりつけた。下の縞々のジャケットと赤い帽子をかぶった作品が、次男君の作品。(両者とも)
このモデルは、何とラップを踊りながら我々の眼を楽しませてくれた。こんな細工をしたのは我が子だけ。異色を放ったけれど、とても微笑ましく彼らしいファッションセンスだとも思った。
ラップを踊りながらのshow〜
他の学生のものも撮りたかったのではあるが、見とれてしまってシャッターを押し忘れてしまった。どの子も遜色なく、本当に素晴らしい作品であった。
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ショーの最後には、デザイン・製作をした学生達が一斉にステージで顔を見せてくれる。どの子も皆、自信と誇りと希望に満ち満ちていた。実に一人ひとりが生き生きと輝いていた。
大勢の学友の間から次男が最高の笑顔を覗かせた。こぼれるような満面の笑みがまぶしかった。アパレル業界は、本当に厳しく過酷な労力の割りには、報われることが少ない世界だとも言われる。
それでも、彼が選択し、彼が決断し、彼が実行したこの世界に、生き残れるか否かの心配は、もう我々親の範疇ではないのかもしれない。後は、子どもを信じてただ見守る他ないのだろう。エスモード学園を卒業する子供達に幸多かれと祈る。
文芸春秋新年特別号よりの抜粋で、昨日の続きです。
これから書こうとしていることは、かなり過激な内容である。が、これは、文芸春秋2008年1月新年特別号から抜粋であり、原文ままであることをご承知頂きたい。
ところでキリ番カウンター77777を踏まれた方は、どなたなのだろう。私が、やはり出勤していた時だったので、踏み損なってしまった。足跡のないところを見ると、カウントを意識されない方の訪問だったのかもしれない。あ〜勿体無い!さて・・・
何となく、ぼ〜っと、ネットサーフィンをしていた。2月12日、朝日新聞関西版の記事に釘付けになった。それは、愛媛県新居浜市にある十全総合病院での記事だった。
麻酔科勤務の女性研修医が、2004年の正月明けに、自ら静脈に麻酔薬を注射し、28歳の命を絶った・・という内容だった。
麻酔医は、緊急手術の際に不可欠な救急医療の要。その病院には麻酔医は2人しか居なかった。常時一時間以内で駆けつけられるよう求められていた。
近くの温泉に母親と出掛けた時も、昼夜を問わず携帯電話がなったという。03年2月、急に手足に力が入らなくなる『ギラン・バレー症候群』になった。3月末まで自宅療養するはずが、病院から『忙しいので戻って欲しい』と要請される。
5月には、帯状疱疹を発症する。勤務先に8日間入院したが、病室から毎日、医療現場に向かった。
『心配かけてごめん。お母さん。』この電話が母親(63歳)との最後の会話になった。両親は、病院を提訴。大阪地裁は昨年5月、過労と自殺との因果関係を認め、約7700万円の賠償を命じたが、大阪高裁で係争が続いている。
『娘は、医師不足の犠牲者』と、父親(64)は、こう話す。
昨日、厚生労働省の諮問機関である中医協(中央社会保険医療協議会)が、病床数200未満の病院の再診料を引き上げるという方針を発表した。
今までは、病院の再診料が診療所より(20床未満)安かった為に、病院に患者が集中して医師が疲弊していたと言う。病院の再診料の引き上げが勤務医の待遇改善に繋がることを期待する・・とも発表した。
しかし、この再診料引き上げによる病院収益は、1%にしか過ぎない・・とテレビでは報道していた。
患者の負担増ばかりの政策に、何だか納得がいかない。国の予算で本当に賄いきれないのだろうか?2月5日の毎日新聞によると、道路特定財源を原資にする特別会計から国土交通省がレクリエーション費を支出したり、マッサージチェアーやカラオケセットなどを購入していた事実を明らかにした。
05年度からは、内規で禁止したというが、明日は、公金浪費の実態を文芸春秋新年特別号から抜粋して掲載したいと思う。耳を疑うような実態にきっと腰を抜かしてしまうことでしょう。
★それにしても、77777のキリ番を踏むのは誰でしょうね。あまりカウントには関心のない私だが、それにしても、ラッキーセブンが5回も揃うなんて、幸運だと思いません?実は、私が踏みたい。(笑)きっと明日でしょうね。私が仕事に行っている時かなぁ〜。でも、あ〜私が踏みたい。しつこいか・・・。(>_★)\(`ε´)ゴン
★77777のキリ番を踏んだ方は、是非、コメントで足跡を残して欲しいのですがぁ〜〜〜〜!めったに無いキリ番ですよねぇ〜。楽しみ!
下記講演会のご案内が配信されました。ご興味・ご関心のある方は、ご参加下さいますように。対象は患者会となっていますが、本日問い合わせましたところ、個人参加もOKとのことでした。私は、参加予定です。
第14回製薬協患者会セミナー開催のご案内
●プログラム
「医療をめぐる倫理と法ー医師と患者のあるべき関係を求めてー」
講師:東京大学大学院法学政治学研究科教授 樋口 範雄氏
●日時・会場
2008年3月13日(木)14:00〜16:00(受付13:30〜)
KKRホテル東京 11階 丹頂
〒100−0004 東京都千代田区大手町1丁目4−1
TEL 03−3287−2921(代)
●参加費
無料
●参加申し込み
PDFから印刷された申込用紙なので、もしご参加される場合は、シャロームHPのアドレスにその旨のメールを頂ければ幸いです。添付ファイルで転送致します。
●医療の高度化が進む中、医師と患者のコミュニケーションについては、インフォームドコンセントをはじめ、さまざまな問題に直面するケースが少なくありません。
今回のセミナーでは、樋口氏ご自身が取り組まれ、研究されてきた「医療と生命倫理、法との関わり」という視点から、今日の医療現場における患者と医師とのコミュニケーション問題、それに対する法の役割と課題について、樋口氏のお考えを提起していただきます。
●お問い合わせ先
日本製薬工業協会 広報部 電話 03−3241−0326
私は、昔からそう言えば、人生相談の欄を見るのが好きだった。特に新聞の切り抜きをスクラップしていたこともあったっけ。今日は、期せずして、ピア・カウンセリング(がん仲間による相談業務)の日であった。
先日、ある人生相談の記事を読んだ。『がん末期でもう治る見込みのない友人に何をすればよいか・・。こうなったらいっそのこと死んでしまいたいと言われる。こういう時、どんな言葉を掛ければよいのでしょうか?』という相談であった。
回答者は、『そのような時には、どんな言葉をかけるよりも、その方の気持ちになって寄り添い、まず耳を傾けることを第一に心がけて下さい。』というコメントであった。
しかし、『聞いているだけで本当によいのか?』と、更に回答を求める相談者。回答者は、『そうです。言葉よりもあなたの存在が大切なのです。どうぞ、じっとその方の傍らにいて下さい。そして、温かいまなざしで、その方を見守って下さい。
そして、思わず手を握ることもあるでしょう。可能なら、体をさすることだってあるかもしれません。』と、申し上げるという。
そして最後にとても大切なことが書かれてあった。『人が生き死にの本質に関わるような問いを発する時は、その人にとって重要で意味のある人物にそれが向けられる。重要でない人にそのような投げかけをしても意味がないからです。』
『問いかけられた人は、病む人にとって重要で意味のある人物なのです。いわば、その人の存在、いることのそのものが当人にとって重要なのです。
病む己と「共にいて」、生き死にを問う問いを共有してくれる存在を求めているのです。死を前にする事態を「共に」する存在があれば、今だ答えを見出し得ないところに身をおくことがあっても、なお、前に向かって進むことができるのです。
だからあなたの存在がその方にとって重要なのです。その方の問いを共に問う者として、傍らにいて下さいあなた自身も辛いでしょう。でも、そこに言葉を越えた慰めがあるのです。』と・・・。この余韻に私も今日はこの身を置きたいと思います。
私の身辺がにわかに忙しくなった。今日は、前回の講演会でもミニコンサートとしてゲスト出演して下さった大石 亜矢子さんの出演交渉(仮)に入った。
本田医師と日程仮押さえに伴って、天に届くような爽やかな希望溢れるプロ歌手、大石 亜矢子さんの出演日程も仮押さえしておきたかった。すべての大綱が整ってから講演会企画案を、今度の患者会でお図りするためである。
すでに、プロジェクトチームを作成し、検討委員会を設立している。(そんな大袈裟さなものでもないが・・)2月8日このブログで杉戸町で出来たら・・・(クリックするとサイトが開きます)と発信したら、下記のようなダイレクトメールを頂いた。
嬉しかった。とっても嬉しかった。そういえば、前回の時も多くの身近な友人が奔走して下さった。ある友人は、お一人で、100枚ほどリフレットを配って下さった。
幼稚園の時のお母さんも『人海戦術を取らなければ駄目!』と、温かいゲキを頂き、宮代町にリーフレットを配って下さった。
今回は、がん患者会シャローム単独での講演会主催ではあるが、前回の経験を生かし、講演会テーマ(仮〜医療崩壊のゆくえ〜)をしっかり押さえながら、ミニコンサートも織り込む。そして、キーワードは、ワクワク感!どんなに難しいテーマもどこかにそんなワクワクした期待感をもってこのイベントを成功させたい。
3月31日付で学童のお仕事も辞めるので、少しは時間的にもゆとりが出来るかと思う。私は、がんの医療水準を上げることが、すべての医療現場の充実に繋がる・・・と思っていた。
しかし、そうではなかった。表面だけ整えばそれで解決ということではなく、最も注目しなければならない根本的なことを抜きにしては、がん医療の向上は有り得ないのだ。 まるでジグソーパズルのように新しいピースをいれようとすると、他のピースがはじけてしまう。枠を広げて初めて新しいピースが治まる。
何と、本田医師にもキーワードは、ワクワク感です。・・・なんて、恐れ多くも共通理解を求めた。変な講演依頼者だと思われたかもしれない。本田医師からは、すべて了解であり、会の進行も任せる・・・と、言うメールを頂いた。っということでワクワク感を皆さんも一緒に味わって下さいますように。
さて、講演会についての反応であるが、原文ままであるが、ご本人のご了解は得ていない。個人が特定されないので事後承諾でもよいのでは・・・と、思っているが甘いかしらん。
※今までの大石 亜矢子さんに関するブログ記事!
2007年2月7日:ゲスト大石 亜矢子さん&盲導犬アン
2007年2月8日:ゲスト大石 亜矢子さん&盲導犬アンPart2
2007年5月1日:1000番目の盲導犬
いつもは、静寂な我が家も長男が帰省してやっぱりいつもと違うペースになる。いつものようにブログ更新しようとするけれど、振れば音の出るような空っぽの頭が更に空洞になるようで不思議!
自由気ままな生活環境が、いかにこのブログをいつも更新出来ている秘訣であったか、改めて思わされる。昨年暮れに、杉戸SOHOの前理事長小川さんに東武動物公園駅でばったり会った。『いつも、ブログ見てるよ。続けるって本当に大切なことだよ。偉いよ。』と、言って頂いた。
夫にそのように言われたと言ったら、『その言葉って、なかなか言えるものじゃない。僕もそう思う。』と、言ってくれた。でも、いくら続けたいと思っても、やはり続ける環境というものがあると思っている。
私は、本当に一人の生活だからすべての時間が私の物だ。家族がいるってことはそれはそれで潤いがあり会話があり温かい空気に包まれる。
しかし、自分の時間も同時に犠牲となる。次年度も夫の単身赴任が決定となった。大阪での最後のご奉公。来年の4月には、東京勤務となり、我が家に戻ってくる。ブログはまたその時考えることにしよう。
いつものように御託を並べる私に本当にお付き合い頂き心から感謝している。
さて、タイトルの『騙されたと思ってクリック!』は、今日あるメーリングリストに紹介されたサイトだ。
青年と最初にhugをする年配の女性は、この日の朝大事なワンちゃんを亡くし、一年前のその日にお嬢さんを事故で亡くしていた。
あとは、本当に騙されたと思って下記サイトを開いて頂きたい。そして動画を再生・・・(2回クリックかな?)して頂きたい。きっと、それぞれに思いがよぎり、温かい気持ちが自然に沸き起こってくると思うから・・・。
http://blog.ochanoma.info/?day=20070429
私は、学生時代ゴーギャン展に行ったことがある。学生時代は方向音痴を矯正しようとあちこち一人旅に出掛けた。俗に言う当時の蟹族(もうこれは、死語!)で、背中にリュックを背負い、ユースホステルを使用した。時刻表を片手に旅先までの綿密な路線など、予定表を作成して全国あちこち旅して周った。
しかし、私は一週間もすると、何線の何処の場所に行き、どんな施設に行ったか、まったく覚えていない・・という情けない有様。結局、矯正不能と判断し、それからは、開き直ることにした。
今はカーナビとインターネットの駅乗り換え案内と、誰かれ構わず口で聞くということで何とか、どこへでも行けるようになった。大助かりだ。
何が言いたいかと言うと、私は、旅先のどこの美術館で、そのゴーギャン展に行ったのか覚えていない・・ということ。すみません。随分遠回りをしてしまった。(笑)
そのゴーギャン展で、私は、彼の日記だったか手紙だったか、しっかり脳裡に刻まれた言葉がある。それは、『窮境に立ち至れば人は皆背を向ける。』という言葉であった。
彼がこの言葉を綴らなければならなかった当時の苦境と人間のさがを見せ付けられた中で、それでも描き続けたゴーギャンの逆境を想った。
そして、その時私はそうでない人間でいたい・・と単純に思ったことと、ゴーギャンの言う通りなのかもしれないなら、人に対してあまり期待を持つことはすまい・・・と、心に誓ったような気がする。
先日、今はもう亡くなってしまったけれど、大切な友を見舞う際、待機室でもご主人とそんな話をした。故山本 孝史議員しかり、本田 宏医師然り、私の主治医勝俣 範之医師しかり、私を支えてくれる友しかり、私の周りに絶対信頼を置ける人がいることは、私は何と幸いな者か・・と思っている。
時に、絶望の淵に投げ込まれそうな時も確かにある。こうして生かされていくということは、人を傷つけそしてまた自分をも傷つけならが、毎日を積み重ねていくのだろう。
然し、山本 孝史議員との交信や大切ながん友との触れ合いの中で得た財産を思う時、ゴーギャンは不運だったのだと思った。
ギリギリのところで救い上げてくれる、土壇場の際で助けてくれる人がたまたま居なかっただけで、人は皆・・・と断定しなければならなかった不遇を思った。
絵心などまったくない私であるが、躍動的な魅力と生活感のある力強さと、南国の底抜けの明るさのタヒチの女性の中に、それでもなお人を信じたいと希望を抱きながらゴーギャンもまた絵筆に思いを託したのかも知れない。
何故なら、彼の描いた絵に悲壮感は微塵も感じられない。あんな言葉を遺したにも拘らず・・。そこが彼の没後、その絵が脚光を浴びたことなのかもしれない。この画評?にはまったく責任はありませんが・・・。
明日は、かわいい・かわいい5歳と4歳の姉弟のファミリーサポートをさせて頂く。お受けしようかどうしようか・・と、一瞬悩んだ。
毎日、短時間ではあるが、学童の勤務が入っていることと、大切ながん友のご逝去の影響なのか、夜中、就寝して1〜2時間で、必ず目が覚める。
そのせいか、眠りが浅くなり睡眠不足状態となり体に力が入らない。そんな中、どうしてファミサポを引き受けるか、疑問に思われるかもしれない。
昔、田植えの手伝いをしている子ども達は、休憩の時に体を休めるどころか、元気に鬼ごっこが始まった。大人たちは、体を休めることが休憩であるが、子ども達にとっては、自分を発散させることが休憩であった。それは、大人たちの休憩と同等の意味を持ったと理解している。
きっと私も同じ心境なのだと思った。明日お預かりするお子さんは、下の子が8ヶ月の頃からサポートさせて頂いた。私にはまだ孫はいないが、もしかして孫に会えるようなワクワクした思いなのかもしれない。たとえ、体を休めることは出来なくても、きっと明日の私は、休むと同じ効果が表れるのでは・・と思っている。今から楽しみ。
さて、杉戸でも本田医師による医療崩壊の講演会が実施出来ないか・・・と、本田医師に打診していた。勿論、シャロームの皆様にお図りしなければならないことではあるが、本田医師からは、『一人でも多くの方に現状を知って頂くことが目標なので、喜んでお引き受けします・・』というお返事を頂いた。
ただ、講演の際は、メディア等も含めて出来るだけ多くの方が参加出来るようなオープン参加の講演会にしてもらったら幸いだ・・ということであった。
こんな田舎の杉戸での講演会でどこまでそのご要望を満たすことが出来るかは、自信は勿論ない。しかし、前回の講演会の経験を生かして、何とかやれるかもしれないと思ったりしている。
実は、シャローム講演会として、来年3周年記念講演を企画していた。講師は、癌研有明病院の医師である。ところが、先日本田医師の講演会(クリックするとサイトが開きます。)を聴講して、本田医師だけが奔走している(そのように見えた)お姿に居たたまれなくなった。
自分でも何かお手伝い出来ることはないのか・・と、自問自答した時、杉戸町での講演会を開くことに行き着いた。署名運動や嘆願書・・などという方法もあるかもしれないが、いつも言うように私の身の丈ではない。
決して背伸びをしたり、無理をすることはしたくない。私の分限を越えない範囲で、キーワード・ワクワク感を得られるような活動をしていきたい・・・。
メールアドレスをお持ちのシャローム会員に講演会のことをお伺いすると、先日本田医師の講演会に参加された会員さんからすぐに、『あの熱弁をもう一度お聞きしたいですね。知識で得たものとはまた違う迫力で、身近な問題として切実に伝わってきました。』と、返信を頂いた。
また、他の会員さんからも異議なし賛成!という反応に、これはやるっきゃないな!と、次第に決意が固まりつつある。
また、2月2日の本田医師の講演会のブログにmomoさんという新しい方がコメントして下さったが、更にまた別の方が“管理者のみ閲覧”ではあったがコメントして下さった。是非、ご覧頂きたい。そしてその情報を本田医師に提供した。
すると、すぐに『民主党の桜井先生は何度かお会いしておりますし、私の主張をよくご存知の方です。今国会内でも超党派の議員さんたちが医療崩壊阻止のための活動を開始してくれたようです。
代表は自民党の尾辻さんとお聞きしてます。医療は超党派で改善していかなければならない分野です。政党に関係なくアプローチする、そのような議員さんが求められています。』と、ご返信を頂いた。
やっと、本田医師の叫びが認められようとしている。今年の秋は皆様にも、杉戸の町で、是非本田医師のものすごい気迫と情熱を直接肌で感じて頂きたいと思っている。
講演会の日を仮押さえしておき、そして、次の患者会で皆様におはかりしようと思っている。キーワードは、ワクワク感!乞うご期待!その暁には、是非ご参加下さいませ。何様、こんな田舎町だから集客が一番大変なのです。前回同様定員299名の席を埋め尽くす講演会を目指します。
今日も、杉戸広報をご覧になった方からシャローム専用携帯(090−4535−9198)にお電話があった。ある原発部位から2年後に再発。『毎日引きこもっている・・・。』とのこと。お話を伺う内に、お声に変化が現われる。最初は、元気がなく声には、勿論張りもなかった。
お辛い胸の内をがん仲間に安心して吐き出すことで、おのずと気持ちが落ち着かれる。自分だけでなく同じように転移を抱えて頑張っているシャローム会員がいることをお聞きになると、まるで安堵感すら電話の向こうから漂ってきた。再発がん患者にとっては、同じような仲間の存在は、大きな励みでもあり、闘う勇気にも繋がる。
私は、りんぱ節には転移があったが、まだ前身への転移はおきていない。このままがん細胞を根絶出来たのか、まだどこかでくすぶり、不気味に本領発揮の機会を狙っているのか?それは、誰にも分らない。
しかし、概ねのがんの転移は、根治が困難になる。(がん種によっては、再発・転移をしても根治できるがんも中にはある。)それゆえ、早期であるならば完治に繋がる場合が非常に高い。
タイトルの禁煙・節酒で先手・・・とは、大量の喫煙や飲酒の習慣のある50歳以上の男性の場合、のどや口のがん(頭頚部がん)のリスクが高くなる。また、喫煙は、様々ながん種の発生のリスクも高い。
たとえば、喉頭がんの場合、喫煙者の死亡率は、吸わない人の32.5倍も高いというデータがある。『たばこは、絶対に駄目』と、日本頭頚部がん学会の理事長(東京医科歯科大頭頚部外科部長)の岸本誠司医師は断言する。
お酒については、ほぼ毎日飲む人の場合、ビールで一日中びん一本、日本酒なら一合程度までに抑えるよう勧める。ただし、お酒に弱い人は、アルコールが分解される時にできるアセトアルデヒドという有害な物質がたまりやすく、少量のお酒でもがんになりやすいので、『お酒に弱い人が無理に飲むのは危険。』と、警告を鳴らす。
のどに異常があらわれた場合は、耳鼻咽喉科か頭頚部外科などの受診をお勧めする。進行してから受診する人が大半を占めるが、早くみつけるほど、後遺症も少ない。
『たばこは吸わない。大酒は飲まない。』そして、異変を感じたらすぐ受診する。早期発見でその後の生活は大きく変わる・・と、岸本医師は力説する。
私に言わせれば、もう体の異変は、まずがんを疑え!だと思っている。『まさか・・そんな大袈裟な・・・・』と、思うかもしれない。然し、私の周りのそしてあなたの周りの死因の多くはがんではありませんか?もう本当に人ごとではなく、対岸の火事でもないのだ。
ところで、JTフーズの問題が取りざたされているが、日本たばこ産業(JT)は、たばこにより多くの死者を出しているというのに、このことについて言及されないのはおかしい・・と、ある医師が講演会で語っておられた。同感!
先日のNNNドキュメントをご覧になった友人から、今日もまた『先日のテレビ、あまりに重大で、あまりに過酷で、貴方のバトンは、私の心の思いとは比較にならないね。頑張ってね。 』というメールを頂いた。
この間もこのブログ(クリックするとサイトが開きます)で発信したのであるが、テレビを観た人は、大変な重いバトンを山本議員から手渡された・・と、思い込んでおられる人が多いようだ。
そして、自分の悩みなんかよりも、私の重責の方が大きくて比較にならない・・と。まぁ〜。いろんな感想を持たれて当然かもしれないが、当の私は、そんな大上段に構えているつもりは決してない。ただ前を走った山本議員。また、その前を走ったがんの先輩達。
それぞれの立っているフィールドは異なる。私は、私に出来る身の丈にあった働きが出来たらいいな・・と、ただ思っているだけである。12月に山本議員との悲しい別れがある一方、不思議な導きで済生会栗橋病院の本田医師に出会った。 その必然性すら感じている。
山本議員のがん医療の問題点を、本田医師がその原因と解決策を身を挺して奔走して下さっている。私には、必要な助け手が与えられているようで、沸々とした感謝が溢れているのである。さて、銀の河・・。今日が最後である。
こんな偉大な政治家とほんの短い間でも交信させて頂けたことを、私は誇りに思っている。
昨日は、武蔵野赤十字病院でのピア・カウンセリング(がん仲間によるカウンセリング)の日であった。今までは、距離的なことを考え、都立駒込病院のみであったが、初めて武蔵野赤十字病院に行った。
家を7時20分に出た。武蔵野赤十字病院は、朝10時から15時までがピアカン業務であるからだ。何と門扉が開かない。凍てついている。歩いて駅まで行こうと思ったが、車道を自転車で行くことにした。おっと危ない。ブレーキも凍って利かない。
武蔵野線・中央線と乗り継いで、武蔵野赤十字病院に着いた。2時間かかった。病院内がとても明るく広々としていた。院内には、コンビニが入っていたり、スターバックス?のようなコーヒー専門店も入っていた。ゆったりくつろげるスペースもあり、近代的な病院であった。
患者へのサービスも行き届いており、ボランティアや専門スタッフがあちこちに立っており、ピアカンの場所など、私もお世話になった。
昨日は、3件の面談によるご相談があった。私は、ある部位の男性がん患者さん。闘病の意欲について悩まれていた。傾聴に徹し、その辛さを共感した。ひとっきりお話を伺った後、私はふと、『お孫さんは、おられますか?』と、話題を変えてみた。
急にお顔の表情が和み、優しく笑みを浮かべられた。昨年9月に初孫が生まれたという。『孫は、目に入れても痛くないほどのかわいさ。』と、言われるが、まさしくそんな感じであった。
そして、何と、『孫に一度でいいからじいちゃんって言ってもらえるまで生きていたい。』と、おっしゃった。こういう気持ちの変化を、心理学的には、カタルシス・・・という。
カタルシス=精神分析で、無意識の層に抑圧されている心のしこりを外部に表出させることで症状を消失させる治療法。また、自ら解決策を見出すこと。
話しているうちに、自分で孫の存在に気付き、治療と孫とを自ら連動された。孫を闘病の励みとすることを、ご自分で見出された。目標が見えた。
ピア・カウンセリングは、そういうことなのだと思う。『いくら、頑張りなさい。目標を見つけなさい。あきらめないで。』と、医療者から一方的に諭されても、自分の中でいくら努力しても、なかなかそこまで達することは、困難である。
時間をかけて相手のお話に耳を傾ける。そんなゆったりとした語らいの中から、自分の病気との闘い方に目覚める。
さっと、明るい光りが射したように、『俺、もうちょっと、頑張ってみるよ。』と、ご自分に言い聞かせるように立ち去られた。彼は、名刺サイズのピアカンの案内をそっと、パジャマの胸ポケットに忍ばせた・・・。
ふふ。まだ?57歳なのに、口元のしわが目立ったTV画像の私。前髪も変!(笑)数秒ではあったが、全国ネットに私の画像が流れた。(笑)あんな素晴らしいご活躍をなさった山本議員の特集で、どうして私が取材のお声がかかったのかは、本当に今も不思議である。
ところが、あの30分の間に、実は夫も映っていた。このブログでもご紹介したが7月28日の山本 孝史議員の最後の街頭演説に我が家は家族総出で応援に行っていた。
山本議員の命をかけた“いのちのメッセージ”キャンペーンを、夫は、まるで全身全霊を注ぐかのように温かい眼差しで山本議員を応援していた。それがカメラにとらえられていた。
夫婦ふたりが同じ番組に治まるなんて、もう一生涯のうちにこんなことは、二度とないと思う。何だか、山本議員に心から感謝したい気持ちになった。
番組が終わると同時に、「テレビ観たよメール」を多くの方から頂いた。職場の仲間やがん仲間。ところが、『バトンを渡された・・』というナレーターの一言に、私よりはるかに重い印象を受けた方が多いようであった。
『確かに、あなたにバトン渡されましたね。』とか、『これからが大変ですね。』とか、『難しいけど頑張って下さいね。』とか激励されてしまった。当の私は、別に私の今までのスタイルで淡々と、県のがん対策推進に関わる動向を、しっかり監視したいと思っており、折に触れてまた意見を届けたい・・と思っているだけなのだが・・・。
それに、山本議員の命のバトンは、画面の前の一人ひとりに渡されたと私は認識している。がん対策基本法を参議院本全議場で、全会一致で可決され、がん対策推進施行法では、患者や家族の参加が織り込まれた。
男性は、二人に一人が、女性では3人に一人が一生涯の内にがんになり、今や、3人に一人ががんで命を落としている時代がすでに来ている。特定の人に山本議員の命のバトンが手渡された訳ではない。
山本議員は、『救えるいのちのために』の著書に中で、次のように訴えている。1月15日のこのブログ関連記事
をご覧頂きたいのであるが、
また、日本は世界的にみて高い医療水準にあるのに、放射線や抗がん剤など「がん医療」の水準が高くないことは、本書で指摘したところです。その原因の多くは政府の医療費抑制策にあります。 p144
先日、このブログで発信した2月2日:どうなる医療崩壊のゆくえとは実は、大いに連動しているのである。済生会栗橋病院副院長 本田 宏医師もまた、自分の命をかけて、この危機に警鐘を鳴らすべくプライベイトな時間を返上して全国に訴える活動をなさっておられる。
特に、12月7日の下記ブログを是非、読んで頂きたい。官僚たちは、政治家や国民に、正しい判断は出来ないと、うそぶいている。長い物には巻かれろ!所詮、蟷螂の斧ですよ・・・と、冷ややかに傍観者的な人もいるかもしれない。
しかし、後期高齢者制度も、特定健康診査も、裁判員制度も、当事者となった時、轍(てつ)のたがで、ジワジワと苦しめられていることに気づくのだと思う。75歳以上の多額の保険料は、年金から天引き、会社の負担を恐れ、健康な人しか採用しなくなるかもしれない。
陪審員は辞退出来ないどころか、「人を裁くのは嫌だ。」と、言っても裁判員法では、「思想や心情の自由」は、認めていない。
日本の将来を憂いている私に、『命を救うのが政治家の仕事!』 気骨ある山本議員の心の叫びがこだまする。彼の灯した火は、消されることなく多くの人の力で脈々と受け継がれていくことを期待する。希望は失望に終わることはないのだと・・。
今日は、武蔵野日赤病院でのピア・カウンセリングの日であった。今日のことは、明日、綴らせて頂こう。
12月6日:本田 宏医師との電話対談
12月7日:本田 宏医師との電話対談Part2
12月10日:本田 宏著『誰が日本の医療を殺すのか』
2月2日:どうなる医療崩壊のゆくえ
大切ながん友が小康状態であった時、大阪での山本議員の告別式(クリックするとサイトが開きます。)に参列出来た。彼女からは、『私からもよろしく』と、言われていた。
彼女の逝去から10日経ったが、その喪失の悲しみは未だに続いている。体がガチガチと轍のたがで締め付けられているような状態であったが、昨日あたりからその苦しみから解放された。いかに彼女の死は、私にとってどれだけ大きな衝撃だったかが、体の反応が物語っていた。
さて、山本 孝史議員の“命のバトン”を渡された者として、取材を受けていたことはこのブログでもご紹介した。洋服には、ピンマイクが付けられた。カメラ&マイクには目を向けないことだけが注意事項であり、直前の鏡を見る?余裕すら飛んでいた。(笑)
取材途中、我が家の猫ちゃんがソファーの背後に現われ、私も映してとばかり『ニャ〜・ニャ〜』鳴きだしてカット。町内放送の『おじいちゃん・おばあちゃんの・・・』のあの安全見回り隊への小学生の録音放送が入りカット。
取材終了後、手作りクッキーを頂きながらのティータイム。記者さん曰く、『カメラが回っていない、今の話の方が、はるかに熱がこもっている。こちらの方が魅力。』と、言っておられた。(それは、そうですよね。)記者さんの車で、久喜まで送ってもらい、私はその足でがん友のお見舞いに行った。
さて、その取材を受けた番組が今夜放送される。2月3日24時50分〜日本テレビ(4チャンネル)NNNドキュメント。http://www.ntv.co.jp/document/
上記URLによると、
「NNNドキュメント」は1970年にスタートした報道ドキュメンタリー番組です。日本テレビ系列の全国30社が総力を挙げて取材、社会の中で起きるさまざまな出来事を検証し、問題提起を行っています。
一方で人の営みに密着し、思いやり、やすらぎ、夢など人間の原動力を深く描きます。世の中が便利になって願いが何でもかなうような錯覚に陥る時代。
だからこそ、“ホンモノ”に接したい。たくさんの人に出会い、思いを通わせ、感動したい。一生懸命生きている姿を見、少しでもその体験を共有したい。
ドキュメントは人と社会を描き、時代を記録しつづけます。視聴者の皆様ひとりひとりが「ドキュメント」の主人公です。 と紹介されていた。
今日は、さいたま新都心(with you さいたま=埼玉県男女共同参画情報センター)での、本田 宏先生の講演会を受講した。with you フェスティバル ワークショップ:どうなる!『医療崩壊』のゆくえ?というタイトルであった。
本田 宏先生のことは、このブログでも書かせて頂いたが、初めてお会いした。講演会の依頼で、日本全国津々浦々、講師として土・日返上して活躍しておられる。先生は、かなりお疲れのご様子であることはひと目で分った。
どうしてここまで身を挺して叫ばなければならないのか・・。それは、日本でただ一人現役の医師が、日本の医療崩壊に歯止めをかけ、医療制度そのものを見直す時はすでに来ている!と、危機感を募らせ、その発信者としての使命感をもたれているからだ。
疲労は、限界のようで、お顔の肌に艶がなかった。そして、今日は、立ってではなく、椅子に座って体力温存を図りながら、力強く熱弁をふるって下さった。熱いものが伝わり、これを聞いた私はそれでは、私に何が出来るのか・・と、焦りのようなものまで感じた。
会場には、メディアも入っていた。やっと、2〜3年くらい前からTVや新聞でも取り上げられるようになったという。しかし、もしかしてこの活動中に体が持たなくなって、死んでしまうかも知れない・・(過労死)という危機感を抱かれるようになったため、今日は、座ってのお話であった。
しかし、もしこれで命が取られるならば、本望・・と言わんばかりのそのご姿勢に、安穏と生きている自分が恥ずかしくさえ思うほど、真に迫った気迫を感じた。
医療費を削る国の政策というのは、簡単に言うと病院に入るお金が少ないために、病院経営が成り立たなくなっている。人件費も当然安くなり、医師の給料は低い。それだけでなく、医師のマンパワー不足で、医師が疲弊し、病院から立ち去る現象がすでに起きているというのだ。
小児科や産婦人科がすでに病院から閉鎖されるという事態は、世間の耳目を集めている。春日部市立病院もご他聞にもれず、昨年9月より、小児科・産科が、医師不足を理由に当面の間、休診とした。
国のこの医療費抑制政策には、様々なカラクリがある。国家財政を揺るがしているのは医療費ではない。他のところ(無駄な公共事業費)に流れているからだ・・・と、本田氏は、鋭く突く。
10時から12時までの講演終了後、足早に会場を去られた。午後からは神戸での会合にご出席とのこと。家族を犠牲にし、ご自分の体を顧みられることなくこうして全国を駆け巡って医療崩壊の危機を説いて回る。
こんな献身的な活動をしている医師が、目と鼻の先、済生会栗橋病院におられるということを、是非知ってもらいたい。
『日本国民の多くは、病院で支払う個人の窓口負担が先進国で最高となっている一方で、病院の収入が先進国の最低ラインにあることを知らされていない。なぜなら、国民の怒りの矛先が病院側に向くように、国が情報操作をしているからだ。』 誰が日本の医療を殺すのか=本田 宏著より
※、この本の印税は、一円も本田医師の手元には入らない。この印税は、赤字である医療制度研究会に全額寄付される。
※、文芸春秋 総力特集2008年1月号には、暴走官僚:エリートたちが日本を食い荒らす・・・には、とんでもない実態が明かされている。図書館などでご覧頂いたら、きっと、開いた口が塞がらないことだと思うのであります。
※お勧めサイト:大熊 由紀子さんのHP『医療費と医療の質の部屋』
※今までの関連ブログ!
12月6日:本田 宏医師との電話対談
12月7日:本田 宏医師との電話対談Part2
12月10日:本田 宏著『誰が日本の医療を殺すのか』
※ご紹介番組!2月3日24時50分より、NNNドキュメント 日本テレビ:取材を受けた番組です。また、明日、ご紹介させて下さいね。
今朝も、夫から間違い電話があった。大切ながん友の逝去で、眠剤を服用している身にとっては、ちょっと厳しい。やっと起き上がって受話器を取ると切れた。着信で掛け直すと、『ごめん・ごめん。間違えちゃった。』・・・と夫。 『またぁ〜。』 『ごめん。急いでいるので・・。』電話が切れた。
朝と言っても、通常の主婦はとっくに起きている時間、あんまり大きなことは言えない。一人暮らしのサイクルは、『あきれて物も言えない状態・・・』と、他人様には思われるであろうから、夫を責められないかも。それにしても一度や二度ではないかならなぁ〜この夫からの間違い電話・・。きっと、PCの前で夫は苦笑していることだろう。
製薬会社の方もがん友も、単身赴任中の夫も、私のこのブログで私の毎日の様子が手に取るように分る・・と言う。こうしてブログに書くと随分体を酷使しているように思われるであろうが、皆様もしたためてみると、結構、限られた時間で濃密な働きをされておられると思いますよ。
1月は、学童の休み月であったが、今日から平日は、ピアカウンセリングの日を除いて毎日勤務が入る。3月でこのお仕事は、辞める予定である。4月から、一日8時間の勤務で、週1〜2日くらいのお仕事ってないものかしら・・。只今、求職中!但し、57歳!特技:パソコン早打ちのみ。