山本 孝史議員:29歳の手記!

山本 孝史議員の奥様 山本 ゆきさんからご返信を頂いた。掲載の許可を頂いているので貼り付けさせて頂く。山本議員とほんの少しでも触れる機会が与えられたことは私の財産だし、

その奥様ゆきさんともこうして交わらせて頂けることは、私の宝だと思っている。奥さんもまた山本議員の奥様らしく、気さくで飾らない。本当に素敵な女性であるが、その元秘書さんも、遜色なく素晴らしい。

このお二人、いつも控えめだけれど有能。この女性お二人の強い味方で山本議員は、安心して大胆に活動出来たと言っても過言ではない。それぞれの役割分担で見事に山本議員の活動を支えられた。私は、このお二人からも多くのことを学んだ。

・・・・・・・山本 ゆきさんからのご返信・・・・・

メールをありがとうございました。あしなが新聞のご紹介にも感謝します。特集の中で私が一番心を留めたのは、彼の29歳の手記の最後の部分「この10年の蓄積をもとに、少しでも社会に貢献できる仕事をすることが、私の天命であると思います。」

のくだりです。がんになってから「天命」ということばをよく使っていましたが、29歳のときから意識していたことに驚きました。そういう意味では、天命一筋の人でした。

山本は多くの人の心にいろいろなものを残して逝ったようです。皆様がそれぞれの思いで山本が残したものを膨らませていってくださるのを嬉しく思います。


 29歳の手記

「出会い」が、その人の人生を大きく変える。本当にそうだと思います。昭和45年の夏、大阪で秋田大学の生路(いくじ)さんに会わなければ、おそらく私は、普通のサラリーマンになっていたでしょう。

「君も交通遺児の学生募金を手伝ってくれませんか。」当時からボランティア活動に興味を持ち、京都YMCAビワ湖キャンプ場で子どもたちとはしゃぎまわったり、車イスを押したりしていた私は、募金活動に即座に承諾しました。

大阪ボランティア協会の、昼間も陽が当たらない倉庫同然とした四畳半を根城にしての生路さんの奮闘ぶりはすさまじいものでした。

関西一円の大学、短大、看護学校を一校一校、資料をもってもわり募金参加を求めていく。時には深刻に悩まされていたようでした。

やがて秋の交通安全週間にあわせた10日間の募金が成功裏に終わった時、私は、生路さんたちの「フロンティア精神」に感服しました。

とてつもなく大きなもの、未知のものにむかって第一歩を踏み出そうとする「行動主義」が全国募金を実現させたといえないでしょうか。うらやましい、自分もそんな「行動力」を身につけたいと感じました。
29歳の手記クリックすると画像が拡大します
  


 1979年に『交通遺児育英会10年史』に寄せた山本さん(当時29歳)の手記から(要約)明日に続く。

 

  1. 2008/02/27(水) 21:59:11|
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