今日は日曜日、杉戸キリスト教会の礼拝に出席した。もともと越谷教会の教会員であるが、車で一時間くらいかかるので、最近はこの教会の客員として出席させて頂いている。
牧師のメッセージの中で星野 富弘氏の鈴の鳴る道の詩を引用された。ちょうど我が家にその詩画集があったので、そのまま紹介したいと思う。この詩を読まれて皆様は、どのように受け止められるだろう。
以前、このブログで、星野 富弘氏の著書、愛深き淵よりのタイトルでブログに載せたことがある。その時、ものすごい数の悪戯メールがコメント欄に寄せられた、愛に反応したのであろうが、ネットの怖さを思い知らされたことだった。
しかし、Out-lookに一旦受信してコメントの適・不適を選別するような設定に、実質の管理者がして下さっているので、難を逃れた。
余談はさておき、
今日、“愛深き淵より”のURLを貼り付けるために、過去の記事を探していたら、偶然に“鈴の鳴る道”というタイトルで、ブログ記事を書いていたことに気付いた。
そんな訳で、本日のタイトルは、“鈴の鳴る道Part2”とした。今日は、全文を掲載したいと思う。この詩は、2007年中学校の国語の教科書にも掲載されている。
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鈴の鳴る道 星野 富弘作 偕成社より
車椅子に乗るようになってから12年が過ぎた。
その間、道のできぼこが良いと思ったことは一度もない。
ほんとうは曲がりくねった草の生えた土の道の方が好きなのだけれど、
脳味噌までひっくり返るような震動には、お手上げである。
だいいち、力の弱い私の電動椅子では止まってしまう。
車椅子に乗ってみて、初めて気がついたのだが、舗装道路でも、いたる所に段があり、
平らだと思っていた所でも、横切るのがおっかないくらい傾いていることがある。
ところが、そういった道のでこぼこを通る時に、一つの楽しみが出て来た。
ある人から、小さな鈴をもらい、私はそれを車椅子にぶらさげた。
手で振って音を出すことができないから、せめて、いつも見える所にぶらさげて、
銀色の美しい鈴が振れるのを、見ているだけでも良いと思ったからである。
道路を走っていたら、例のごとく、小さなでこぼこがあり、
私は電動車椅子のレバーを慎重に動かしながら、そこを通り抜けようとした。
その時、車椅子につけた鈴が、「チリン」と鳴ったのである。
心にしみるような澄んだ音色だった。「いい音だなぁ。」
私はもう一度その音色が聞きたくて、引き返してでこぼこの上に乗ってみた。
「チリーン」「リチーン」小さいけれど本当に良い音だった。
その日から、道のでこぼこを通るのが楽しみとなったのである。
長い間、私は道のでこぼこや小石を、なるべく避けて通ってきた。
そしていつの間にか、道にそういったものがあると思っただけで、
暗い気持ちを持つようになっていた。
しかし、
小さな鈴が、「チリーン」と鳴る、たったそれだけのことが、
私の気持ちを、とても和やかにしてくれるようになったのである。
鈴の音を聞きながら、私は思った。
“人も皆、この鈴のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか。”
その鈴は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鳴ることがなく、
人生の中でこぼこ道にさしかかった時、振れてなる鈴である。
美しく鳴らしつづける人もいるだろうし、閉ざした心の奥に、
押さえこんでしまっている人もいるだろう。
私の心の中にも、小さな鈴があると思う。
その鈴が、澄んだ音色で歌い、キラキラと輝くような毎日が送れたらと思う。
私の行く先にある道のでこぼこを、
なるべく迂回せずに進もうと思う。
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