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(Wed)22:19

『日野原先生からすれば、まだ若造!まだ娘っ子ですよ!』と元気づける!

私は、病院の中でのピアサポートをさせて頂いているが、時折、『もう、80歳だから・・・』と、申し訳なさそうにがんのお話をされる。

そんな時私は、『あら~。聖路加国際病院の日野原重明先生からすれば、まだまだ若造ですよ。』とか、『娘っ子ですよ。』と言うと、『そりゃそうだ。まだ私も生きていてもいいのかね。』と、気兼ねが吹っ飛ばれるのを何度目の当たりにしたか。

その日野原重明医師も102歳となり、最近、車いすになられたご様子である。先生が、車いすになった経緯を書かれているので本日その記事を、コピペさせて頂いた。

よく、こんなハードなスケジュールを今までこなされてこられたことか・・と、驚嘆する。

私が車椅子を使うようになるまで

2014年6月25日 ヨミドクターより

 私はこのまま健康でいることができれば、2020年7月の東京オリンピックの時には108歳、そしてその3か月後の10月には109歳になります。

 医学生の時には、慢性胸膜炎と肺結核を病みましたが、戦後39歳でアメリカ合衆国に留学した際には治癒していました。聖路加国際病院の総合精密検査、すなわち人間ドックを毎年受けており、検査で見つかった大腸ポリープの切除手術を受けたこともあります。

また、3年前に受けた精密検査では、早朝高血圧症といって、早朝5時か6時頃、一時的に血圧が160/90程度に上昇する症状がみられたので、午前2時頃に降圧剤のニューロタン2mgを飲み、早朝の血圧上昇を抑えてきました。

 これら以外には治療を要するような病気もなく、102歳の今も元気でいることを自慢にしていました。肥満による血圧上昇を防ぎ、糖尿病にならないようにすれば、動脈硬化もそれほどには進行しないことが分かり、30歳の時の私の体重60キログラムが加齢とともに増えないように気をつけてきました。

そのために、糖分摂取、特にでんぷん質や糖質、動物性脂肪を制限し、たんぱく質やビタミン、カルシウムなどは十分にとる食事をしています。

 貝原益軒(1630~1714)は、江戸時代の健康法として腹八分をすすめていますが、私は、老人には上述のような食事内容と腹七分がよいと言ってきました。講演でも私の一日の食事内容をカラー写真で紹介してきました。

英国の学会で疲れを感じて…

 今年5月、私が理事長をしている日本オスラー協会の会員と一緒に英国オックスフォードで催されたアメリカオスラー協会の年次総会に出席しました。

オスラー博士が晩年を過ごした場所の近くのホテルに滞在し、朝9時から夕方まで総会に出席して米英の会員の学術講演を何題も聞きました。その時、渡英の際のジェットラグ(時差ぼけ)のためか、私はいつになく疲れを感じていました。夜のレセプションの予定を何とかこなし、8日間の旅程を終えて日本に帰りました。

 帰国の翌日には、私が理事長をしている一般財団法人ライフ・プランニング・センターの設立41周年記念講演会がありました。私は立ったまま1時間の講演をし、その翌日には日本音楽療法学会の理事会にも出席しました。

心臓弁膜症、見つかる

 疲労は極みに達しました。発熱もしていたので、聖路加国際病院の福井次矢院長の強い勧めで、その日の夕方、入院となりました。発熱の原因を調べるため血液培養を行ったところ、大腸菌の感染症と分かり、化学療法を行い、4日で解熱しました。

 ところが、その時病院で受けた心臓の超音波検査で、大動脈弁の狭窄きょうさくが発見され、左心室から大動脈に送り出される血液量が、正常人の4分の1しかないことがわかりました。心臓弁膜症です。

 この程度の弁膜症なら、90歳以下の患者であれば、今日の進歩した心臓外科の技術により、完治を目指す手術も検討可能です。ただ、私のように100歳を超えている老人となると、危険が大きいので、心臓の外科手術はできないということになりました。

 対策としては、左心室が強く収縮して大動脈弁を壊すことがないように、おとなしく行動するほかないだろうということで、私は日常生活に車椅子を使うことになりました。肉体行動を極度に制限して、左心室の負担を軽くするためです。

車椅子で全国へ

 私が会長をしている「新老人の会」では、全国各地で講演の約束をしているので、新幹線や飛行機を利用するときにも車椅子で行動することにしました。私の自家用車のトランクに小型の車椅子を常備して、必要な時にはそれを用いるようにしています。また、講演先にはあらかじめ車椅子を頼んで、会場まで行けるようにお願いすることにしました。

 心臓弁膜症が判明してからは、外出には車椅子の生活を余儀なくされていますが、この事実を私は講演会に来てくださるみなさんにも公表しています。講演は座ったままで行い、私の得意な合唱やオーケストラの指揮だけは立ち上がってすることにしました。

 私が車椅子を使うようになった経緯をお知らせした次第です。

C.O.M.M.E.N.T

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