2016_02
25
(Thu)11:45

聖路加国際病院:会員さんの初診に同席!

杉戸高野台駅発12時28分の電車に乗り、東武動物公園で会員さんと合流。一路、聖路加国際病院へ。2時半の予約であったが、1時45分に受付。

二階ブレストセンターへ直行。とんだアクシデント発生。(私が付いていながら。。。という失態。彼女は、問診票を提出することなく、じっと膝元に持っていた。取りに来て下さると勘違いしたみたいだ。)

5時近くになってそれに気づいた私は、

『それ、カウンターに持って行かなきゃ。』 
『取りに来て下さるんじゃないんですか?さっき、看護師さんがひざまずいて
患者さんとお話をされていた時に、患者さんが問診票渡してましたから。』
『いや~。記入したら普通持っていくでしょう。』
『そうですよねぇ~。私、ボーっとしてました。』
影の声:何のために私帯同してるんだよ。まったく!>自分。
ただ、待っている間、私は、色々と移動したりしていたことと、問診票がコートの下に隠れていたこともあり、気づけなかったことも事実。

持っていくと、すぐに看護師さんからマンモグラフィー撮影指示。しばらくして診察室へ。アクシデントだったので、予約の医師とは違う深津裕美先生。

なんと、何度も、何度も、謝罪され、丁寧に・丁寧に画像を見せてもらいながら説明を受ける。マンモは、石灰化はあるけれど、広がりはない。がんであったとしても軽いでしょう。

確かに、白いまんまるお月さんのような画像は見当たらない。次に、超音波(エコー)と針生検を受ける。

(下の画像↓は、日本乳がん学会HPより引用)
生体検査

その時私は、一旦退室する。そして、再入室し、続けて説明を受ける。エコーでは、あきらかに固い病変がしっかり映っている。約2㎝。であるにも関わらず、マンモには映っていない。

こういった整合性?というか、連動しない画像は、珍しいがあることはあるという説明であった。通常なら、一週間ほどで生検(生体検査)の結果が出るが、場合によっては、(予期しない珍しい事例)二週間位かかることもある。

class5であるならば、乳がんということになる。また、生検だけでなく、MRIの検査の必要性についてもお話を伺った。(ステージは、勿論定かではないが、Ⅱの可能性あり)

私から尋ねる。『腋下(脇の下)への転移は、いかがでしたか?』(患者本人から何を聞いてくれても構わないと了解を得ていた。)という質問に対して、

『触診で、その所見はありますが、これも、何か炎症が起きた跡であったりする場合もあるので、すぐにリンパ節転移と決めつけることは出来ません。』という説明であった。他にも、グレーゾーンであることを強調されていた。

深津先生で特に印象深かったことは、『確かな結果が出るまでは、患者さんを不安にさせない。』そういった細部に亘る配慮が、言葉の端々になされていた。むしろ、私の方がヅケヅケと質問をした。

最悪(結果が出ないという意)を考えて次の診察の予約は、二週間後にするか、それとも、一週間後にしておいて、伸びるようなら、電話でお知らせするが、どうするか?といった展開になった時、

仕事の関係もあり、安全パイをとって二週間後ということにした。そこで私は、『早く、はっきりしたこと聞きたくない?不安を抱えることにならない?』と口を挟む。

患者『そうですよね。やっぱり、一週間後にします。』
医師『それでは、伸びる場合は、ご連絡をします。何時ころがご都合がいいでしょう。』
患者『午後なら大丈夫です。』
私『午後って、あなたお仕事してるよ。』
患者『あっそっか。7時以降でも大丈夫ですか?』
医師『大丈夫です。それでは、8時ころにお電話をしますね。』

その後、話は二転・三転。

でも、そんな優柔不断な我々のやり取りも、じっくり待って下さり、患者の最終的な決断を待って下さった。なんて、患者サイドに立った親切な医師だろう。

ただ、
途中、待合室でも、『どうしてこんなに遅くなったのですか?』と、山内先生や喜多先生からご心配下さって尋ねて下さった。もう、誰も、ブレストセンターで待っている患者はいなかった。

予約は、喜多先生であったので、『あなた、診ました?』と山内先生が尋ねられると、『診てません。』と喜多先生。

どこの病院でもアクシデントはある。そもそも、私が付いていながら、問診票の提出を促さなかった私も悪かったのだ。

深津先生の診察室に山内先生が入って下さって、(この山内英子先生は、2月13日に当会の勉強会の講師に来て下さっている。)カーテンの中にいる彼女に、二言・三言優しくお声を掛けて下さった。(どんなに嬉しくほっと安心したことだろう。)

そして、山内先生から、〝深津先生が、小児科医から乳腺外科医になられた経緯を簡単にご説明下さり、ご紹介下さった。”

余談ではあるが、そのお話も深津先生に後から直接お聞きした。(私が訪ねた。)ちょうどアメリカで小児科医として留学研修を積んでおられた頃に、日本に住んでいる親しい友人が、乳がんになったのだそうだ。

そのご友人は、結婚式を控えており、人生の大きな転機にさしかかった。そして、ご友人は、まず○○病院に受診したが、三ヶ月待ちと言われたそうだ。

そんな折、その友人はネットで聖路加国際病院の山内英子先生を知ることになる。そして、ちょうど、手術のキャンセルが入ったところに手術日を入れてもらい、晴れて結婚式を挙げることが出来た。

そのご友人は、今も、元気で活躍しているとのこと。深津先生にとって、〝山内先生は、まさしく友人の命の恩人ということになる。”

その友人から山内英子先生の、外科医として、また、素晴らしい人となりをお聞きし、深津先生は、〝女性を助けたい、自分も女性だし、何か出来るかもしれない”と、なんと一念発起。

まさに路線変更。乳腺外科医になることを決められたのだと言う。(ブログ掲載については、深津先生のご許可を得ている)

また、
深津先生は既婚者でありお子さんもおられる。更に、小児科医から乳腺外科医への転身など、聖路加では、初めてのケースではあったが、クリニカルフェローとして受け入れて下さったとか。(深津先生の画像あり…正直、実物は画像より断然素敵である。)

聖路加国際病院乳腺外科クリニカルフェローについてのPDF

初めてと言えば、山内英子先生も、聖路加国際病院のレジデントとしては、女性医師初だったそうだ。だからこそ、そういった慣習などには振り回されない独自且つ画期的なご決断をされるのだろう。

さて、
診察が終わったのは、6時過ぎ。これから家に帰ってお夕飯づくりとなると間に合わない。それぞれの夫に連絡して、築地駅前のDenny'sで、二人でお夕飯を取った。

待ちくたびれて疲れてしまったけど、爽やかで笑顔が素敵な深津先生や、山内先生。喜多先生。そして、もう一人の男性の先生。色んな先生に出会えて、ラッキーで得した気分で帰路に着いた。

私の性格では、『○○さん。深津先生はあ~おっしゃったけど、きっと、黒に近いグレーだと思う。だから、ご主人にあまり楽観的なご報告はよくない気がする。でも、もし、黒であっても、しっかり、サポートするからね。』と、念を押した。

深津先生から、『執刀ご希望の山内先生は、予約がとりにくいので、手術日の予約をいれておきましょうね・・』と、言って頂いた。が、

いみじくも、なんと、その日は、彼女の、お子さんの誕生日だと言う。『それは、神様からの計らいかもね。私なんか、家族のだれも、手術日を覚えてくれてないもん。寂しいもんよ。家族に覚えられているって、とってもラッキーなことよ。』と言った。

『あ~そうですよね。ありがたいです。』彼女は、何故か、幸せそうな笑みを浮かべてそう言った。彼女のそこに悲壮感はなかった。

紹介状を書いてもらった病院では、『手術になるでしょう。』と言われ、(乳がんとは言及されなかった。)その日は、食欲がなかったという。

その前後からシャロームは関わらせて頂いているが、一歩先行くがん患者の存在は、我田引水ではあるが、そこに大きな安心感をもたらすのでは・・と、私は勝手に思っているのである。

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今日の教訓! 
『診察前の問診票は、記入後は必ず速やかに外来カウンターに返しませう。』
とんだ、お騒がせな二人であったの巻!

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★黄昏に、ひときわ輝きを放つ聖路加国際病院の十字架!


C.O.M.M.E.N.T

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