今日は、杉戸キリスト教会に於いて告別式が執り行われた。最近私は、この教会の礼拝に時々出席させて頂いているが、お亡くなりになった方とは面識はなかった。
しかし、いつも受付で親切にお世話をして下さる方の奥様であったので、お見送りをさせて頂いた。自転車で出勤中に軽乗用車との接触事故で、後頭部を強打されたことによる不慮の事故死であった。
牧師の痛恨のメッセージが心に響き、まるで私の姉妹のお葬式のような錯覚すら覚え涙が溢れた。『私達にとって一番必要で大切な方の命が天に召されました。どうしてなのか私にも分りません。』と、顔を時に真っ赤にさせながら、涙をこらえて語られた。いや、時々涙を拭われていた。
喪主のご主人は、『私達は、いつか命が奪われる時があると思って覚悟していました。しかし、こんなに早くその日が来るとは思ってもいませんでした。命を奪われた私達も被害者。しかし、事故を起した相手も被害者です。いつ、私達も反対の立場に立たされるか分らない。だから気をつけなければなりません。』と、心底から言葉を搾り出すように挨拶をされた。
気丈に振舞われている(ように見える)ご主人様は、突然降って湧いたような非常事態でも、信仰で奥様の死を受け止められておられるようでもあった。しかし、本当の寂しさは、後からしみじみと押し寄せて来ることだろう。
よく悲しみに遭遇した時、いつもは神を無視した生き方をしているにも関わらず、『神や仏などないと思った。どうしてこんな悲しい目にあわされるのか。』という嘆きをよく耳にする。
しかし、常日頃神を崇めた生活を歩んでおられたご夫婦(ご主人)は、悲しみの中にも、奥様との天上での再会に希望を抱いておられた。
『一生懸命頑張っているのではありません。これからまた神様にも皆様にも仕える者でありたいと思います。これからもどうかよろしくお願いします。』と、頭を下げられた。自然体な姿にその信仰の深さを垣間見た思いだった。
牧師は最後に、『たとえ死んでも新しい命(魂)が与えられる。これは信仰によって受け取れるものであり、死は希望なのです。』っと力強く語った。・・っと思う。正確さに欠けるかもしれない。自信がないことを付け加えさせて頂きたい。
まるでキリストの花嫁を想像させるような遺影を被うベール。生前の彼女の愛唱 賛美歌や聖歌が流れる中、参列者からの花に包まれた彼女は安らかだった。そして天使に抱かれ御国へと旅立った。
ご遺族の上に豊かなお慰めとお支えがありますように。
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